毛沢東思想
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毛沢東思想(もうたくとうしそう、ピンイン: Máo Zédōng Sīxiǎng)は、毛沢東の思想をもとにした中国共産党の指導理念。まとまりがなく矛盾した部分も多く見られるが、その本質は「中国化されたマルクス主義」だといわれる。
毛沢東主義、マオイズム(Maoism)とも呼ばれ、その信奉者はマオイストと呼ばれる。
中国共産党は1945年9月の第7回党大会で党規約に「中国共産党はマルクス・レーニン主義の理念と中国革命の実践を統一した思想、毛沢東思想を自らの全ての指針とする」との記述を加えた。ここでいう毛沢東思想とは、理念としてはカール・マルクスとウラジーミル・レーニンが確立した共産主義を指針としながら、それを中国の実情に適応させた、農民中心の革命方式を指していると考えることができる。
毛沢東の思想は、毛沢東が若い頃から親しんだ農村社会の調査から導き出された中国発展のためのあらゆるアイディアを含んでおり、その大綱として大公無私(個人の利益より公共の福祉を優先する)、大衆路線(農村大衆の意見に政治的指針を求めそれを理解させて共に行動する)、実事求是(現実から学んで理論を立てる)などを挙げることができる。この他、社会と協調できる個人主義、大人数の協力、農村から蜂起して都市を囲いこんでいくゲリラ戦術理論、世界各国が各自の特性に応じた革命を行うことによって第三次世界大戦を防ぐことができるとする「中間地帯論」なども毛沢東思想に含めることができる。
毛沢東の農村重視の姿勢には、猛烈な産業発展が前提である共産主義ではありえない前資本主義的な要素も見られることがあり、周代に唱えられた平等主義である大同思想に近い部分がある。また、しばしば暴力に肯定的で知識階級への憎しみをあらわにしており、これを評して、北京時代に感じた正式な高等教育を受けられなかったことへの劣等感が影響しているからだ、という者もいれば、これこそ農民よりな毛沢東思想の反エリート主義なのである、という者もいる。
毛沢東思想のまとまりのなさ・複雑さははっきりと定義できない分、恣意的な解釈を許すことになり、文化大革命では毛沢東の個人崇拝を推し進めた林彪によって政敵の打倒に利用された。このような解釈の現実に対して毛沢東自身の対応にも一貫しない部分があり、毛沢東思想の非体系的な特徴を表している。
非常に多くの欠点もあるものの、全体としての毛沢東思想はその幅広さによって、現代社会における政治体制を考える上で多くの示唆を与えてくれるものであり、人間を総合的にとらえる毛沢東の教育者としての能力をよく表しているものだということができる。毛沢東の死後、その思想をめぐる評価は微妙に揺れ動いたが、1981年の中国共産党大会で採択された決議「建国以来の党の若干の歴史問題について」では、「その生きた思想は独立自主を目指し、過ちもあったが功績のほうが第一である」と評価した。
[編集] 海外への影響
1960年代の世界的な学生運動では、しばしば原理主義的な共産主義信奉が毛沢東思想に移行する例がみられた。影響を受けたのは大学生を中心とする都市部の中産階級の若者で、集団生活や農村下放などが模倣されたが社会全体を変えるには至らなかった。ジャン=リュック・ゴダールの『中国女』は毛沢東思想を研究するために共同生活を始めるフランスの若者たちを描いている。
カンボジア内戦時にはポル・ポト率いる「クメール・ルージュ」が毛沢東思想を奉じてその思想を極端な形で実行に移した。都市の住民を全て農村に移住させたこの政策は大躍進政策と同様、多数の餓死者を出し、経済的な破局をもたらした。
現在でも毛沢東思想を綱領としている共産党はネパール共産党毛沢東主義派だけだが、その他にも世界の様々な反政府組織が毛沢東思想に範をとっている。そのため一部の国家では「マオイスト」という言葉はテロリストや強盗・ゲリラなどと同じ意味に使われることもある。無差別機銃掃射で知られたペルーのセンデル・ルミノソも、「農村から都市を包囲する」の毛沢東思想を標榜していた。
- コーネリアス・カーデューの最後のピアノ作品「我々は未来のために歌う」では毛沢東思想への忠誠が、スコア序文に掲げられている。
- ベルント・アロイス・ツィンマーマンの創作の集大成となった「若い詩人のためのレクイエム」は、毛沢東語録からの抜粋を淡々と読み上げる箇所がある。毛沢東語録を音楽創作に用い、なおかつ傑作に仕上げた作品であるが、カーデューと異なりツィンマーマン自身はマオイストではない。
- 日本においては、労働者農民党、日本共産党 (左派)、共産同ML派、日本労働党、緑の党(日本ボランティア会、三橋辰雄・対馬テツ子一派)などが毛沢東思想の影響を受けた党派として知られる。