横浜市立戸塚高等学校
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横浜市立戸塚高等学校(よこはましりつとつかこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市戸塚区にある公立学校である。
横浜市立戸塚高等学校 | |
創立 | 1928年(昭和3年) |
教育課程 | 単位制普通科 定時制普通科 |
校長 | 大塚 宏 大友 博(定時制校長代理) |
所在地 | 〒245-8588 |
神奈川県横浜市戸塚区汲沢2丁目27番地1号 | |
電話番号 | 045-871-0301 045-871-0086(FAX) |
外部リンク | 単位制公式サイト 定時制公式サイト |
目次 |
[編集] 摘要
- 略称は戸高(とっこう/とこう)。10月上旬に開催される文化祭を「戸高祭」という。
- 漫画『ビー・バップ・ハイスクール』に出てくる「戸塚水産高校」とは関係ない。戸塚ヨットスクールを揶揄したものである(同スクールは愛知県にあり、校長の姓を冠している)。
- 同窓会を全日制では「光陵会」、定時制は「櫻陰会」という。
- 横浜市営地下鉄踊場駅より徒歩8分ないし神奈中バス・戸塚高校前停留所および汲沢団地停留所すぐ。
- かつて横浜中部学区であった。2003年度より学区制廃止。
- 定時制については市議会において存廃の議論が続いている。
- 高等学校コードは14206K。
- 戦後しばらくは一区一校の伝統校として東京大学など有名校への進学者を輩出していたが、神奈川県の県立高校百校計画の煽りを受けるなどして、ある時期―横浜市立全日制普通科高校では例外的に―低迷状況にあった。現在では、単位制への転換や校舎一新、制服ブレザー化、交通アクセスの改善によって顕著な回復を遂げている。
[編集] 沿革
- 1928年3月6日、文部大臣より設立の認可をうる。
- 同年4月8日、神奈川県鎌倉郡「戸塚町立実科高等女学校」として開校。
- 1939年4月1日、鎌倉郡のうち戸塚町など1町7村が横浜市に合併・編入され、戸塚区となる。それにともない、「横浜市立戸塚実科高等女学校」に改組される。
- 1943年4月1日、「横浜市立戸塚高等女学校」となる。
- 1948年4月1日、学制改革により、全日制普通科と定時制普通科からなる共学の「横浜市立戸塚高等学校」となる。
- 1960年3月、現校歌が披露される。
- 同年7月、戸塚競馬場跡地に移転。元の観客席は現在のグラウンドという。
- 1993-96年にかけて全面改築。この間はプレハブ仮校舎を併用。
- 2003年4月1日、学区制が廃止され、全日制から単位制高校となる。
[編集] 教育目標
自主、協励、連帯
[編集] 校歌
[編集] 特徴と伝統
[編集] おもな出身者
- 高橋紀代子(元日本共産党横浜市議会議員〔戸塚区選出〕)
- 三浦和義(冤罪事件ロス疑惑元被告。1期・半年間、生徒会長を務める。中退)
- 松尾英治(読売ジャイアンツ投手、1982年ドラフト外入団)
- 渡辺健弥(アマチュア棋士、高校時代より活躍。瀬川晶司との交流が「奇跡体験!アンビリバボー」でも取り上げられる[1])
[編集] おもな教職員経験者
- 島田正次(1913-92。定時制に1946-70年勤務。洋画家)
- 宮澤正順(元全日制国語科教諭。のち大正大学文学部名誉教授、道教・東洋史・仏教学研究者、浄土宗西福寺住職、文学博士)
- 入村精一(元全日制理科教諭。昭和天皇の著作『相模湾産蛇尾類』を解説。クモヒトデ類研究者、水産学博士。共著『ヒトデガイドブック』TBSブリタニカ、2002年7月)
- 村上春樹(元全日制国語科教諭。のち横浜市立桜丘高等学校副校長、『将門記』・平将門研究者)
- 加藤悌三(元全日制社会科教諭。石川啄木研究家、詩人。『石川啄木論』新樹社、1986年4月、『詩集沈みようのない海で』新樹社、1986年12月、『詩集驟雨の朝』新樹社、1991年9月、『石川啄木』新日本新書49、新日本出版社、2000年)
- 水谷修(元定時制社会科教諭。通称「夜回り先生」)