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柴原 洋(しばはら ひろし、1974年5月23日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(外野手)である。
[編集] 概要
- 身長・体重:175cm、74kg
- 投打:左投左打
- 出身地:福岡県北九州市八幡西区
- 血液型:A型
- 球歴・入団経緯:北九州高 - 九州共立大 - ダイエー・ソフトバンク(1997年~)
- プロ入り年度・ドラフト順位:1996年(3位)
- 背番号:31(1997年~2003年)→1(2004年~)
- 英語表記:SHIBAHARA
- 推定年俸:12000万(2006年)
- 守備位置:外野
2003年には.333を残すなど4度の打率3割を記録している俊足巧打タイプでありながら三振が多く、意外に盗塁が少ない。広い守備範囲と強肩を生かした守備には定評がある一方、打球の判断には難がある。
[編集] 来歴
- 高校は北九州高校、大学は九州共立大学に在籍。
- 1997年 ドラフト3位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。当時の背番号は31。
- 1998年 中堅手のレギュラー獲得。打率.314、18盗塁でベストナインに選ばれる。
- 1999年 ダイエーホークス初のリーグ優勝、日本一に貢献。
- 2000年 プロ入り初めて135試合フル出場し打率.310を記録。リーグ二連覇に貢献し二度目のベストナイン、初のゴールデングラブ賞に選ばれる。この年から小久保裕紀、松中信彦、城島健司とあわせ「ホークス四天王」と言われる。これは、当時のホークスでの1億円プレイヤー4人を指したものでもある。
- 2001年 二年連続の打率3割(.302)、ゴールデングラブ賞に輝くが、チームは2位に終わる。
- 2002年 調子を落とし.269に終わる。
- 2003年 脇腹痛で開幕に間に合わず、1番センターには打撃改造で復活した村松有人が定着していたため8番ライトにまわる。しかし腐ることなく存在感を発揮し、自己最高の打率.333を記録。ダイハード打線の脇を固め、リーグ優勝、日本一に貢献。3度目のゴールデングラブ賞に選ばれた。
- 2004年 秋山幸二の背番号を引き継ぐ背番号を1に変更。期待されたが、腰痛に悩まされ99試合の出場に留まった。
- 2005年 複数年契約を自ら返上し決意のシーズンであったが、こだわりを持つ1番センターの座にはFA移籍してきた大村直之が定着。自らの故障や宮地克彦の活躍もありわずか59試合の出場に終わる。
- 2006年 開幕スタメンは逃したものの、代打として結果を残し4月からはレギュラーに。2003年以来となる100試合以上出場、100安打を記録(打率.277)。また通算1000試合出場を達成。FA権も取得したが、行使せずに残留することを表明した。
[編集] 成績
年度 |
球団 |
背番号 |
試合数 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
打点 |
盗塁 |
打率 |
1997年 |
ダイエー |
31 |
66 |
88 |
6 |
14 |
1 |
0 |
1 |
2 |
0 |
.159 |
1998年 |
ダイエー |
31 |
111 |
385 |
54 |
121 |
14 |
3 |
2 |
35 |
18 |
.314 |
1999年 |
ダイエー |
31 |
131 |
464 |
68 |
122 |
15 |
4 |
5 |
26 |
22 |
.263 |
2000年 |
ダイエー |
31 |
135 |
520 |
78 |
161 |
32 |
6 |
7 |
52 |
10 |
.310 |
2001年 |
ダイエー |
31 |
139 |
587 |
95 |
177 |
35 |
2 |
7 |
49 |
8 |
.302 |
2002年 |
ダイエー |
31 |
133 |
509 |
73 |
137 |
33 |
2 |
4 |
43 |
5 |
.269 |
2003年 |
ダイエー |
31 |
112 |
426 |
71 |
142 |
26 |
0 |
4 |
53 |
11 |
.333 |
2004年 |
ダイエー |
1 |
99 |
358 |
50 |
97 |
27 |
1 |
7 |
39 |
1 |
.271 |
2005年 |
ソフトバンク |
1 |
59 |
188 |
23 |
50 |
7 |
0 |
1 |
15 |
0 |
.266 |
2006年 |
ソフトバンク |
1 |
121 |
361 |
52 |
100 |
16 |
6 |
3 |
48 |
6 |
.277 |
通算 |
1106 |
3886 |
570 |
1121 |
206 |
24 |
41 |
362 |
81 |
.288 |
- ベストナイン 1998年、2000年
- ゴールデングラブ賞 2000年、2001年、2003年
[編集] エピソード
- 柴原は左投げ左打ちだが実は幼少よりれっきとした右利きである。
- 左投げをするようになったのは小学生時代野球の手ほどきをした実父が「どうせさせるなら投手、しかも手薄な左投げにしてみたい」と洋に左投げをさせたところ、右投げと遜色のない投球をしたため、洋はずっと左投げで通し、野手転向してからも左投げを続けている。
- 現在のチームメイト大村直之とは大村が近鉄在籍中、そして大村がホークスへ加入し外野定位置争いのライバルとなった今も変わらぬ良い仲である。
- 福岡ダイエーホークスから福岡ソフトバンクホークスに変わって、初の本塁打を放った選手である。
- 九州共立大学時代は毎晩のように寮の玄関で素振りをするなど、大変練習熱心であった。当時の後輩(元ロッテ於保浩己などがいる)からは「柴原先輩が素振りをしているから抜け出して遊びにも行けない」との声もあったという。
- 1996年ドラフト3位指名で入団した柴原だが、同年のドラフト1位が井口資仁、2位が松中信彦という当時の目玉がそろい踏みし、ファンの間では「反則ドラフト」と称されることもある。また、下位では倉野信次、岡本克道などが指名されておりダイエーとしては大成功のドラフトであった。
[編集] 関連項目