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三瀬幸司(みせ こうじ、1976年3月11日 - )は福岡ソフトバンクホークス所属のプロ野球選手(投手)である。
[編集] 概要
- 生年月日:1976年3月11日
- 身長・体重:177cm、76kg
- 投打:左投左打
- 出身地:香川県観音寺市
- 血液型:A型
- 球歴・入団経緯:観音寺一高 - 岡山理科大 - NTT西日本中国野球クラブ - ダイエー・ソフトバンク(2004~)
- プロ入り年度・ドラフト順位:2003年7巡
- 英語表記:MISE
- 守備位置:投手
- 背番号:57
[編集] 来歴
- 高校は甲子園には縁遠い進学校、大学は2部リーグ、社会人ではクラブチームとおよそプロ野球とは無縁の野球人生を送っていた。ただしNTT西日本中国クラブは広島市民球場の隣り。広島東洋カープのスカウトが見に行った試合はいつも打たれていたらしく、スカウトの目に留まることが無かった。
- 2003年、この年限りで活動停止が決まっていたNTT西日本中国クラブのエースとして、都市対抗野球中国地区第1代表を獲得。1回戦(対大阪ガス戦)に先発し、敗戦投手になったが、キレのある変化球が注目され、数球団のスカウトが注目したが、その時点で27歳であったことから、ほとんどの球団が敬遠した。
- 2004年、ドラフト7巡でダイエー(当時)に入団。28歳と遅咲きであったが、チーム事情により抑えに定着。この年、横山道哉(日本ハム)と並び32SPで最優秀救援投手のタイトルを獲得。新人王にも選ばれた。愛称は、名前から三瀬店長。9回に三瀬が登板しきっちりと試合を終わらせる姿は店仕舞いにかけて「三瀬仕舞い」と言われた。
- 2005年は開幕から絶好調で得点どころかヒットすらもほとんど許さず、4月22日の西武戦で10セーブ目をあげた。開幕から24試合目での二桁セーブ到達はプロ野球史上最速記録となった。ところが、登板間隔があき5月1日の対ロッテ戦に調整登板した三瀬はベニー・アグバヤニにスリーランホームランを浴び、シーズン初失点。ここから徐々に歯車が狂ってゆく。5月10日のヤクルト戦ではサヨナラヒットを浴び、5月27日の中日戦では立浪和義に同点打、タイロン・ウッズには決勝スリーランを浴び、重要な場面で失点を重ねてゆく。
そして、6月2日の阪神戦。9回裏に満を持して登板したものの甲子園の異様な雰囲気に浮き足立ち制球が定まらない三瀬は、金本知憲の頭部付近へ死球を与えてしまう。この投球が危険球と判断され三瀬は退場を宣告された。試合後、怒った阪神ファンの一部が暴徒化し、球場を出ようとするホークスの選手を乗せたバスを取り囲む騒ぎを起こした。
この経験が大きなトラウマとなったのか、6月5日の巨人戦では2アウトまでは取ったもの、ここから連続四球で満塁にしてしまい途中降板。7月4日の楽天戦では10球連続ボールを含む3連続四球と大乱調で二軍降格。復帰後は左の中継ぎの一員として活躍しているが、馬原孝浩に奪われたクローザーの座は取り戻すことが出来ないでいる。
- また、同年引退した千葉ロッテマリーンズの初芝清とは、対ロッテ最終戦(千葉マリンスタジアム)やプレーオフ第2ステージ第2戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)で死球を与えたり、第5戦では逆転に繋がる内野安打を打たれるなど何かと縁があった。
- 最近は対左打者のワンポイントリリーフとして起用されることが多い。
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
年度 |
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
無四球 |
勝 |
負 |
S |
勝率 |
投球回 |
被安打 |
被本塁打 |
四球 |
死球 |
奪三振 |
失点 |
自責点 |
防御率 |
2004年 |
ダイエー |
55 |
0 |
0 |
0 |
4 |
3 |
28 |
.571 |
67 2/3 |
47 |
6 |
19 |
9 |
71 |
28 |
23 |
3.06 |
2005年 |
ソフトバンク |
54 |
0 |
0 |
0 |
2 |
2 |
18 |
.500 |
45 2/3 |
30 |
8 |
20 |
7 |
45 |
24 |
24 |
4.73 |
2006年 |
40 |
0 |
0 |
0 |
1 |
3 |
1 |
.250 |
32 2/3 |
26 |
2 |
9 |
2 |
15 |
17 |
17 |
4.68 |
通算成績 |
149 |
0 |
0 |
0 |
7 |
8 |
47 |
.467 |
146 |
103 |
16 |
48 |
18 |
131 |
69 |
64 |
3.95 |
[編集] タイトル
新人王(2004年)、最優秀救援投手(2004年)
[編集] 関連項目