新潟県立巻高等学校
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新潟県立巻高等学校(にいがたけんりつ まきこうとうがっこう)は、新潟県新潟市巻にある県立高等学校。
新潟県立巻高等学校 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新潟県 |
設立年月日 | 1950年4月1日 |
創立記念日 | 1906年6月23日 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型連携型共になし |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
学科 | 普通科 (1年8クラス、2・3年9クラス) |
所在地 | 〒953-0044 |
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電話番号 | 0256-72-2351 |
FAX番号 | 0256-73-4424 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 概要
旧制巻中学、巻高女を前身とする県立中堅進学校。通称は「巻高(まきこう)」。
県立高校では唯一食堂を備えており、「白楊会館」という名称がついているが普段は「学食」と呼ばれている。(食堂が開かれた当初、食堂のことを「ロビン」と呼んでいた)また、白楊会館は部活動の合宿・研修・会合等の施設としても利用でき、専らこちらの方を白楊会館と呼んで区別している。現在の校地が「桔梗ヶ丘」と称されていることから校章(帽章、バッジ)は桔梗にちなんで制定されている。
[編集] 沿革
[編集] 経緯
当校は旧制中学校以来の歴史を持つ男子校である(旧)県立巻高等学校と、高等女学校以来の歴史を持つ女子校である県立巻女子高等学校の、ふたつの学校を前身とする。この二校が統合して男女共学の(新)県立巻高等学校となった。
[編集] 年表
[編集] 巻高等学校
- 1906年6月23日 - 新潟県立新潟中学校(現県立新潟高校)巻分校として設立認可。
- 1907年3月6日 - 独立の新潟県立巻中学校として4月より開校することが認可される。
- 1907年5月1日 - 授業開始。以後5月1日を創立記念日とする。
- 1913年4月1日 - 県財政悪化のなか廃校の動きがあり、郡立に移管して西蒲原郡立巻中学校と改称。
- 1913年3月25日 - 県立に復帰し再び新潟県立巻中学校となる。
- 1948年4月1日 - 学制改革により(旧)新潟県立巻高等学校となる。
- 1950年4月1日 - 新潟県立巻女子高等学校と統合し、男女共学の(新)新潟県立巻高等学校となる。旧巻中学を北校舎、旧巻女学校を南校舎とする。
- 1952年3月31日 - 旧巻女子高より引き継いだ定時制課程を廃止。
- 1970年12月22日 - 白楊会館竣工。
- 1997年 - 被服科閉科。
- 2006年 - 創立100周年。正門竣工。
[編集] 巻女子高等学校
- 1913年4月12日 - 西蒲原郡立巻実科高等女学校として創立。
- 1921年4月1日 - 西蒲原郡立巻高等女学校と改称。
- 1922年4月1日 - 県立移管により新潟県立巻高等女学校となる。
- 1948年4月1日 - 学制改革により新潟県立巻女子高等学校となる。
- 1950年3月31日- 新潟県立巻高等学校との統合に伴い廃校。
[編集] 校歌・応援歌
- ※校歌の1番は男声斉唱、2番は女性二部合唱、3番は混声三部合唱となっている珍しい校歌。これは旧制巻中学校の校歌(斎藤佳三作曲)を1番、巻高等女学校の校歌(弘田龍太郎作曲)を2番とし、さらにあらたに3番を加えて編曲したためである。
- 応援歌:「桜花」、「白楊」、「高嶺の雪」、「若人」、「月日にかくる(迎歌)」
- ※この内、よく歌われる応援歌は「桜花」、「若人」である。
- 愛唱歌:創立100周年記念として製作。
[編集] 部活動
- 陸上競技部
- バスケットボール部
- 野球部
- 柔道部
- 山岳部
- ダンス部
- 剣道部
- ラグビー部
- サッカー部
- バレーボール部
- 硬式テニス部
- 軟式テニス部
- 卓球部
- バドミントン部
- ホッケー部(新潟国体強化指定校)
- ハンドボール部
- 水泳部
- 文芸部
- 理科部
- 天文部
- 美術部
- 書道部
- 英語部
- 合唱部
- 演劇部
- 新聞部
- 生活部
- 放送部
- 吹奏楽部
- 茶道部
- 華道部
- 写真部
- ギター部
- 手芸部
- 音楽鑑賞部(実質は帰宅部)
[編集] 交通
※許可制でバイクも可。通学距離は4km以上12kmまで。