戸沢正良
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 宝暦11年(1761年) | |||
死没 | 天明6年8月16日(1786年9月8日) | |||
戒名 | 戒運院勇山良将 | |||
墓所 | 東京都港区三田の常林寺瑞雲院 | |||
官位 | 従五位下、主計頭 | |||
藩 | 出羽新庄藩主 | |||
氏族 | 戸沢氏 | |||
父母 | 父:戸沢正庸、母:心涼院 養父:戸沢正産 |
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兄弟 | 弟:戸沢正産 | |||
妻 | 正室:酒井忠仰の娘 | |||
子 | 実子なし、養子:戸沢正親 |
宝暦11年(1761年)(異説として宝暦12年(1762年)4月16日)、第5代藩主・戸沢正諶の子として生まれる。安永9年(1780年)、兄で第6代藩主の戸沢正産の死去により、兄の養子として家督を継ぎ、藩主となる。同年12月28日、従五位下、主計頭に叙任された。
藩政においては藩財政難のうえ、天明3年(1783年)からの天明の飢饉に苦しみ、家臣に対する給与においても飯代を払うのみとまでなってしまったとされている。天明6年(1786年)8月16日(異説として8月10日)に死去。享年26。
実子が無く、養子の戸沢正親が後を継いだ。