戸沢正産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
||||
時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 宝暦8年(1758年) | |||
死没 | 安永9年10月7日(1780年11月3日) | |||
別名 | 孝次郎(幼名) | |||
戒名 | 宿仙院徳巌慈本 | |||
墓所 | 東京都港区三田の常林寺瑞雲院 | |||
官位 | 従五位下、上総介、能登守 | |||
藩 | 出羽新庄藩主 | |||
氏族 | 戸沢氏 | |||
父母 | 父:戸沢正諶、母:心涼院 | |||
兄弟 | 弟:戸沢正良 | |||
妻 | 正室:松平頼泰の妹 | |||
子 | 実子なし 養子:戸沢正良 |
宝暦8年(1758年)(異説として宝暦10年(1760年)6月23日)、第5代藩主・戸沢正諶の子として生まれる。明和2年(1765年)、父の死去により家督を継いで藩主となる。安永4年(1775年)閏12月11日、従五位下、上総介に叙任する。
若年のため、家老の北条六右衛門によって「安永の地押」という倹約を中心とした藩政改革が行なわれた。また、藩校・明倫堂が創設されている。安永9年(1780年)10月7日(異説として10月3日)、瀬見温泉に入浴中に発病して死去した。享年23。実子が無く、弟の正良が養子として後を継いだ。