大島郡 (鹿児島県)
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大島郡(おおしまぐん)は、鹿児島県の郡。人口87,833人。
現在は、奄美諸島のみで構成。過去には、大隅諸島の一部(三島村)と、トカラ列島(十島村)を含んでいた。
以下の9町・2村を含む。
[編集] 沿革
- 1908年4月1日 - 島嶼町村制制の施行に伴い、大島郡に16村が成立する。(16村)
- 大隅諸島の一部・トカラ列島
- 十島村(じゅっとうそん)
- 喜界島
- 喜界村(きかいそん)
- 奄美大島
- 笠利村(かさりそん)、龍郷村(たつごうそん)、名瀬村(なぜそん)、大和村(やまとそん)、住用村(すみようそん)、焼内村(やきうちそん)、東方村(ひがしかたそん)
- 加計呂麻島・請島・与路島
- 鎮西村(ちんぜいそん)
- 徳之島
- 天城村(あまぎそん)、亀津村(かめつそん)、島尻村(しまじりそん)
- 沖永良部島
- 知名村(ちなそん)、和泊村(わどまりそん)
- 与論島
- 与論村(よろんそん)
- 1916年5月20日(19村)
- 焼内村から西方村(にしかたそん)が分立。
- 鎮西村から実久村(さねくそん)が分立。
- 天城村から東天城村(ひがしあまぎそん)が分立。
- 1917年11月1日 - 焼内村が宇検村(うけんそん)に改称。
- 1919年4月 - 喜界村から早町村(そうまちそん)が分立。(20村)
- 1921年6月29日 - 島尻村が伊仙村(いせんそん)に改称。
- 1922年10月1日(1町20村)
- 名瀬村から金久・伊津部地区が分立、町制施行し名瀬町となる。
- 名瀬村から上方・古見方・下方地区が分立、三方村(みかたそん)となる。
- 1936年4月1日 - 東方村が町制施行・改称し古仁屋町(こにやちょう)となる。(2町19村)
- 1941年5月1日 - 和泊村が町制施行し和泊町となる。(3町18村)
- 1941年10月1日 - 喜界村が町制施行し喜界町となる。(4町17村)
- 1942年1月1日 - 亀津村が町制施行し亀津町となる。(5町16村)
- 1946年2月28日 - 十島村上三島を除く郡全域が米軍の統治下となる。十島村上三島、鹿児島市に仮十島村役場設置。
- 1946年7月1日 - 名瀬町が市制施行し、名瀬市となり郡より離脱。(4町16村)
- 1946年9月1日 - 知名村が町制施行し知名町となる。(5町15村)
- 1952年2月4日 - 十島村下七島の施政権が日本に復帰。
- 1952年2月10日 - 十島村(じゅっとうそん)二村に正式に分離、上三島三島村(みしまむら)と下七島十島村(としまむら)に分離。(5町16村)
- 1953年12月25日 - 郡全域の施政権が日本に復帰。
- 1955年2月1日 - 三方村が名瀬市に編入。(5町15村)
- 1956年9月1日 - 古仁屋町・鎮西村・実久村・西方村が合併し、瀬戸内町(せとうちちょう)が発足。(5町12村)
- 1956年9月10日 - 喜界町・早町村が合併し、喜界町が発足。(5町11村)
- 1958年4月1日 - 亀津町・東天城村が合併し、徳之島町(とくのしまちょう)が発足。(5町10村)
- 1961年1月1日(7町8村)
- 笠利村が町制施行し笠利町となる。
- 天城村が町制施行し天城町となる。
- 1962年1月1日 - 伊仙村が町制施行し伊仙町となる。(8町7村)
- 1963年1月1日 - 与論村が町制施行し与論町となる。(9町6村)
- 1973年4月1日 - 三島村・十島村が鹿児島郡へ移行。(9町4村)
- 1975年2月10日 - 龍郷村が町制施行し龍郷町となる。(10町3村)
- 2006年3月20日 - 笠利町・住用村が名瀬市と合併し、奄美市が発足、郡より離脱。(9町2村)
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