トカラ列島
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トカラ(吐噶喇)列島とは、南西諸島の内、鹿児島県側薩南諸島に属する島嶼群。全ての島が鹿児島県鹿児島郡十島村に属する。 天気予報区分では奄美地方の一部としている。なお、トカラ語とは無関係である。
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[編集] 歴史
地名の由来については諸説あるものの、奄美から沖縄にかけてで「沖の海原」を指す「トハラ」から転訛したという説が有力。
文武天皇3年(699年)7月19日に、多褹、夜久、菴美、度感の人が物を貢いだことが、『続日本紀』に見える。それぞれ種子島、屋久島、奄美大島、トカラにあたる。同書によればこれが度感(徳之島との説もある)が日本と通じた始まりであった。
- 1908年4月1日、島嶼町村制制度施行に伴って現三島村を含み十島村(じっとうそん)として発足した。この頃は、村役場は中之島に置かれており、所属する郡は大島郡(明治30年に川辺郡から大島郡へ変更)であった。
- 1945年8月15日、日本降伏、沖縄諮詢会設立。
- 1946年2月2日、連合国総司令部の宣言により,北緯30度トカラ列島以南がアメリカ軍の軍政下に置かれ、現三島村と分断。役場を失った上3島は、とりあえず仮の十島村役場を鹿児島市に設置する事になった。
- 1946年4月24日、沖縄中央政府設立(12月4日に沖縄民政府と改称)。
- 1946年10月3日、奄美諸島で、臨時北部南西諸島政庁設立(トカラ列島含む)。
- 1950年8月4日、奄美群島政府設立、沖縄群島政府、宮古群島政府、八重山群島政府。それぞれ、民選の知事と議員が選ばれる。
- 1951年4月1日、知事らによる復帰を求める声が強くなると、沖縄、宮古、八重山、奄美すべて統括する琉球臨時中央政府が作られ、各群島政府知事の権限は極端に削減された。なお、4つの群島政府は、翌年3月末日までは形式的には存在したため、この1年間は沖縄には2種類の政府が存在した。
- 1952年2月10日、下7島が日本へ復帰、しかし既に上3島の行政機構は完成されており、それに元々、別の市郡がある種子島・屋久島を跨いでの行政運営には無理があった為、結局上3島は三島村、下7島は十島村(としまむら)として復帰当日から別々に発足することになった。
- 1956年4月1日、村役場が、中之島から鹿児島市へ移転された。
- 1970年7月28日、臥蛇島民全員が移住、無人島になる。
- 1973年4月1日、郡が、大島郡から鹿児島郡へ変更される。
[編集] 主な島
[編集] 列島へのアクセス
- 鹿児島本港南埠頭から十島村営フェリー「フェリーとしま」。週2便のため、運航日に注意。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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