地蔵菩薩
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地蔵菩薩(じぞうぼさつ、Skt:Ksiti - garbha)は、仏教の信仰対象である菩薩の1人。kuksi(大地)と、garbha(胎内、子宮)の合成語で、意訳して「地蔵」と言う。
大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包みこみ、救う所から名付けられたとされる。
一般的には「子供の守り神」として信じられており、よく子供がよろこぶお菓子が供えられている。
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[編集] 概要
釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救う菩薩であるとされる。
中国においては、地蔵菩薩の聖地は、安徽省にある九華山である。これは、新羅の金和尚、金地蔵とも呼ばれる地蔵という僧(696年 - 794年)が、この地にある化城寺に住したことに因むものである。齢九十九で、この地で入滅した地蔵は、3年後に棺を開いて塔に奉安しようとしたところ、その顔貌が生前と全く変わることがなかったことなどから、地蔵を地蔵菩薩と同一視する信仰が生まれ、その起塔の地が地蔵菩薩の聖地となったものである。その故事によって、文殊菩薩の五台山、普賢菩薩の峨眉山、観音菩薩の普陀山と並ぶ中国仏教の聖地として、今日まで信仰を集めている。
日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生のかなわない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになった。それと同時に、地蔵を閻魔の本地仏と考える信仰も広まった。
地蔵像は、密教では胎蔵界曼荼羅地蔵院の主尊として菩薩形(有髪)に表されるが、一般には比丘形(僧侶の姿)で袈裟をまとい、左手に宝珠、右手に錫杖を持つ形、または左手に宝珠を持ち、右手は与願印(掌をこちらに向け、下へ垂らす)とする形の像が多い。
[編集] 六地蔵
日本では、地蔵菩薩の像を6体並べて祀った六地蔵像が各地で見られる。これは、仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものである。 六地蔵の個々の名称については一定していない。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の順に檀陀(だんだ)地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障(じょがいしょう)地蔵、日光地蔵と称する場合と、それぞれを金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称する場合が多いが、文献によっては以上のいずれとも異なる名称を挙げている物もある。いずれにしても、像容のみからそれぞれの地蔵がどれに当たるかを判別することはほぼ不可能である。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などにしばしば祀られている。中尊寺金色堂には、藤原清衡・基衡・秀衡の遺骸を納めた3つの仏壇のそれぞれに6体の地蔵像が安置されているが、各像の姿はほとんど同一である。
[編集] 地蔵菩薩に関する伝承
過去久遠の昔、インドに大変慈悲深い2人の王がいた。一人は自らが神となることで人を救おうと考え、一切智威如来という神になった。だが、もう一人の王は神になる力を持ちながら、あえて神となることを拒否し、自らの意で人の身のまま地獄に落ち、すべての苦悩とさ迷い続ける魂を救おうとした。それが地蔵菩薩である。地蔵菩薩の霊験は膨大にあり、人々の罪業を滅し成仏させるとか、苦悩する人々の身代わりになって救済するという説話が多い。
菩薩は如来に次ぐ高い見地に住する仏であるが、地蔵菩薩は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意でその地位を退し、六道を自らの足で行脚して、救われない衆生、幼くして散った子供や水子の魂を救って旅を続ける。
特に生前の功徳が足りない事から賽の河原から先へ進めず、石の塔婆作りを永遠に続けなければならない水子の魂を救うため、賽の河原に率先して足を運んでは、仏法や経文を聞かせて水子らに徳を与え、成仏への道を開いていく水子救済の逸話は有名である。
このように、地蔵菩薩は最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩である事から、古来より絶大な信仰の対象となった。
また後年になると、地蔵菩薩の足下には餓鬼界への入口が開いているとする説が広く説かれるようになる。地蔵菩薩像に水を注ぐと、地下で永い苦しみに喘ぐ餓鬼の口にその水が入る。
仏教上における餓鬼は、生前嘘を他言した罪で燃える舌を持っており、口に入れた飲食物は炎を上げて燃え尽き飲み食いすることは出来ないが、地蔵菩薩の慈悲を通した水は餓鬼の喉にも届き、暫くの間苦しみがとぎれると言われている(その間に供養を捧げたり得の高い経文を聞かせたりして成仏を願うのが施餓鬼の法要の一端でもある)。 これは六道全てに隔てなく慈悲を注ぐと言われる地蔵菩薩の功徳を表す説であり、施餓鬼法要と地蔵菩薩は深い関係として成立していった。
ところで仏教上の非道者を指す一闡提という言葉があるが、これには単に「成仏しない者」という意味もあることから、地蔵菩薩のように一切の衆生を救う大いなる慈悲の意志で成仏を取り止めた仏を「大悲一闡提」と称賛し、通常の一闡提とは明確に区別する。
先に述べた「六地蔵」とは六道それぞれを守護する立場の地蔵尊であり、他界への旅立ちの場である葬儀場や墓場に多く建てられた。また道祖神信仰と結びつき、町外れや辻に「町の結界の守護神」として建てられることも多い。道祖神のことをシャグジともいうことから、シャグジに将軍の字を当て、道祖神と習合した地蔵を将軍地蔵(勝軍とも書く)とも呼ぶようになった。
[編集] 垂迹神
閻魔王と同一の存在であるという説がある。閻魔王は地蔵菩薩として人々の様子を事細かに見ているため、綿密に死者を裁くことが出来るとする。
地蔵菩薩の垂迹とされる神としては、愛宕神や天児屋根命がいる。
[編集] 各種地蔵名
[編集] 病苦の身代わり
- 化粧地蔵 ・
- おしろい地蔵
- 洗い地蔵
- 赤地蔵
- 味噌なめ地蔵
- あごなし地蔵
- 塩地蔵
- あんこ地蔵
- 首なし地蔵
- 首切り地蔵
- 足切り地蔵
- 紙張り地蔵
- 腰折地蔵
- 咳止め地蔵
- 生木地蔵
- ぬりこべ地蔵
- 目洗い地蔵
- くろかね焼地蔵
[編集] 子宝・子育て守護
- 賽の河原地蔵
- 子育て地蔵・子安地蔵
- 子守地蔵
- 三体地蔵
- 腹帯地蔵
[編集] 厄除け
- 釘抜き地蔵
- とげぬき地蔵
- 引導地蔵
- 水子地蔵
- 六地蔵
- 苦抜き地蔵
- 毛替り地蔵
- 船乗り地蔵
[編集] 災難予知・危難防御
- 汗かき地蔵
- しばられ地蔵
- 芋地蔵
[編集] 延命・開運・勝利
- 延命地蔵
- 首つぎ地蔵
- 勝軍地蔵
- 日限地蔵
- 開運地蔵
- 無尽地蔵
[編集] 地蔵菩薩を祀る主な寺院
- 法隆寺(奈良県斑鳩町) - 国宝、平安時代前期、金堂安置(大御輪寺旧蔵)
- 鶴林寺 (徳島県勝浦町)- 国宝、平安時代
- 橘寺(奈良県明日香村) - 国重要文化財、平安時代(伝日羅立像)
- 帯解寺(奈良県奈良市) - 国重要文化財、鎌倉時代(帯解子安地蔵)
- 弘仁寺(奈良県奈良市) - 国重要文化財、平安時代(伝明星菩薩)
- 東大寺(奈良県奈良市) - 国重要文化財、平安時代、公慶堂安置、快慶作
- 伝香寺(奈良県奈良市) - 国重要文化財、鎌倉時代(法服地蔵)
- 浄瑠璃寺(京都府加茂町) - 国重要文化財、平安時代
- 広隆寺(京都府京都市) - 国重要文化財、平安時代
- 室生寺(奈良県室生村) - 国重要文化財、平安時代(五尊像の一つとして)
- 木之本地蔵院(浄信寺)(滋賀県伊香郡木之本町) - 国重要文化財、日本三大地蔵尊
- 如意寺(兵庫県神戸市) - 伝飛鳥時代作の本尊
- 高岩寺(東京都豊島区) - 巣鴨とげ抜き地蔵尊
- 建長寺(神奈川県鎌倉市) - 地蔵菩薩を本尊とする
- 壬生寺(京都府京都市) - 地蔵菩薩を本尊とする