土門拳
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土門拳(どもんけん、1909年10月25日 - 1990年9月15日)は、日本を代表する写真家である。
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[編集] 経歴
- 1909年 10月25日、山形県酒田市に父熊造、母とみえの長男として誕生。
- 1916年 一家で東京へ移住。
- 1917年 麻布区飯倉小学校に入学。
- 1918年 一家で横浜市磯子区へ移転、磯子小学校へ編入。
- 1921年 一家で同市の神奈川区へ移転、二ッ谷小学校へ編入。
- 1928年 旧制神奈川県立第二中学校(現・神奈川県立横浜翠嵐高等学校)卒業。
- 1929年 三味線に熱中し、常盤津の師匠に弟子入りする。
- 1932年 農民運動に参加し、検挙される。
- 1933年 遠縁にあたる宮内幸太郎の写真場に内弟子として住み込み、写真の基礎を学ぶ。
- 1935年 「アサヒカメラ」に初入選。その号に募集の出ていた名取洋之助主宰の日本工房に応募、氏のもとで報道写真を撮り始める。
- 1938年 土門が撮影した、時の外相宇垣一成のルポが「婦人画報」9月号と米ライフ誌に掲載される。
- 1939年 著作権の取り扱いをめぐって名取と対立し、日本工房を退社→「名取洋之助との対立」を参照。初めて室生寺を撮影。
- 1941年 フリーとして活躍、文楽の撮影を開始する。徴兵検査を受けるも不合格となり帰郷。
- 1943年 写真誌「写真文化」に掲載し、のちに『風貌』としてまとめられた人物写真に対してアルス写真文化賞受賞。荻原守衛の彫刻作品を撮影する。
- 1946年 戦後はじめてとなる古寺の撮影を開始する。
- 1950年 木村伊兵衛とともに写真雑誌「カメラ」の月例写真審査員になり、リアリズム写真を提唱。
- 1953年 江東区の子どもたちを撮りはじめる。写真集『風貌』(アルス社)刊行。
- 1954年 写真集『室生寺』(美術出版社)刊行。
- 1958年 写真集『ヒロシマ』(研光社)刊行。同社の写真誌「フォトアート」月例審査員を1963年まで断続的に務める。
- 1959年 筑豊炭鉱労働者を取材する。
- 1960年 写真集『筑豊のこどもたち』(パトリシア書店)を100円で刊行。続編『るみえちゃんはお父さんが死んだ』を完成直後、脳出血を発症。回復後、大型カメラによる古寺の撮影を開始。
- 1961年 「芸術新潮」に『私の美学』を連載。
- 1963年 写真集『古寺巡礼』第一集(美術出版社)を刊行。平凡社「太陽」に「日本のあけぼの」を連載。後年『日本人の原像』として単行本化。
- 1964年 京都の東寺(教王護国寺)を撮影する。
- 1965年 写真集『信楽大壺』(東京中日新聞社)『古寺巡礼』第二集(美術出版社)『大師のみてら 東寺』(東寺保存会 非売品)刊行。
- 1966年 平凡社「太陽」に草柳大蔵氏とのコンビで『日本名匠伝』を連載。写真集『日本人の原像』(平凡社)刊行。
- 1967年 東大寺二月堂のお水取りを撮影。羽田闘争を撮影(最後の報道写真)。
- 1968年 前年に取材した、東大寺のお水取りの模様が平凡社「太陽」1月号に特集記事として発表される。写真集『古寺巡礼』第三集(美術出版社)刊行。雑誌「太陽」の取材で滞在していた山口県萩市で二度目の脳出血を発症し緊急入院。助手として同行していた弟の牧直視が撮影を引き継ぎ、同誌の9月号に特集記事として発表される。なお、写真のクレジットは牧直視名義となっており、土門の作品が使用されているかは不明。
- 1969年 ほぼ一年間の意識不明から回復。右半身不随となるが、左手で水彩画を描くなど、リハビリに励む。
- 1970年 車椅子にて撮影を再開。風景写真を数多く撮る。
- 1971年 写真集『古寺巡礼』第四集(美術出版社)『薬師寺』(毎日新聞社)『荻原守衛』(筑摩書房)刊行。『古寺巡礼』の業績に対し第19回菊池寛賞受賞。
- 1972年 写真集『文楽』(駸々堂)刊行。
- 1973年 写真集『東大寺』(平凡社)刊行。平凡社「太陽」に『骨董夜話』を連載。
- 1974年 写真集『古窯遍歴』(矢来書院)『日本名匠伝』(駸々堂)を刊行、初の随筆集『死ぬことと生きること』(築地書館)刊行。紫綬褒章受章。酒田市の名誉市民第一号となる。
- 1975年 写真集『古寺巡礼』第五集(美術出版社)『私の美学』(駸々堂)を刊行。白洲正子、青柳瑞穂、八代目坂東三津五郎、細川護貞、平山郁夫、谷川徹三との共著による随筆集『骨董夜話』(平凡社)刊行。箱根彫刻の森美術館の野外彫刻の撮影を始める。
- 1976年 初の風景写真集『風景』(矢来書院)刊行。写真集『子どもたち』(ニッコールクラブ)刊行。随筆集『写真作法』(ダヴィッド社)刊行。
- 1977年 勅使河原蒼風・亀倉雄策との共著による随筆集『三人三様』(講談社)刊行、写真集『土門拳自選作品集』全三巻(世界文化社)を翌年にかけて刊行。
- 1978年 写真集『女人高野室生寺』(美術出版社)『日本の美』(伊藤ハム栄養食品 非売品)刊行。随筆集『写真批評』(ダヴィッド社)刊行。
- 1979年 随筆集『写真随筆』(ダヴィッド社)写真集『現代彫刻』(サンケイ新聞社)刊行。7月に最後の撮影地となる福井県丹生郡にて越前甕墓や越前海岸などを撮影。9月に脳血栓を起こして昏睡状態となる。
- 1990年 9月15日、11年間目覚める事もなく、死去。
- 『古寺巡礼』の撮影を始めた時には半身不随となり、2度目の脳出血では車椅子生活を送りながらも、弟子に指示しながら精力的に撮影を行った。
[編集] 作風
絶対非演出のリアリズム写真を主張し、リアリズム系の写真家として、木村伊兵衛と双璧をなした。
様々なジャンルの写真作品を撮影しているが、いずれにおいても、完全な没個性(無記名)という報道写真ではなく、自分の個性を重視した。
[編集] 名取洋之助との対立
2人が対立したのは、著作権の帰属が原因であった。名取は、ドイツのウルシュタイン社で報道写真家として活躍していた背景から、写真は芸術でも個人の作品でもなく、編集者ひいては雇用者である企業が著作権を持つ物であると考えていた。これに対し、土門は写真は表現手段の1つであり、個人の芸術的な所産だと考えていた。この対立には、西洋と東洋、絵画と写真、芸術性・個人性と社会性・集団性・企業性など様々な思想の対立が背景にある。
こうして2人の仲は決裂し、土門は師の名取の葬儀にも参列をしぶる程になってしまった。
[編集] 作品リスト
- 『死ぬことと生きること 』(築地書館、1974年) ISBN 4806767301
- 『続・死ぬことと生きること 』(築地書館、1974年) ISBN 480676731X
- 『写真作法』(ダヴィッド社、1976年)ISBN 4804800786
- 『写真批評』(ダヴィッド社、1978年)ISBN 4804800794
- 『写真随筆』(ダヴィッド社、1979年)ISBN 4804800808
- 『筑豊のこどもたち』(築地書館、1977年)ISBN 4806756199
- 『生きているヒロシマ』(築地書店、1978年)ISBN 4806756016
- 『古寺巡礼』(土門たみ監修、小学館、1998年)ISBN 4096811513
- 『風貌』(小学館、1998年)ISBN 4096811521
- 『昭和のこども』(小学館、2000年)ISBN 409681153X
- 『拳眼』(世界文化社、2001年) ISBN 4418015213
- 『拳心』(世界文化社、2001年) ISBN 4418015221
- 『拳魂』(世界文化社、2002年) ISBN 441802509X
[編集] 関連項目
- 土門拳記念館 - 故郷の山形県酒田市の飯森山公園にある。全作品を収蔵する。建築家谷口吉生が設計。
- 土門拳賞 - 1981年に毎日新聞社が設立。社会・人物・自然などを中心にした作品が対象。
- 酒田市土門拳文化賞 - 1994年に酒田市が設立。アマチュア写真家の作品が対象。
- お弟子さん達 - 芹沢長介、八木下弘、三木淳、牧直視、牛尾喜道、藤森武、西川孟、毛利秀之ほか