井脇ノブ子
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井脇 ノブ子(いわき のぶこ、昭和21年(1946年)2月11日 ‐ )は、平成期における日本の政治家。衆議院議員(1期)。
生年月日 | 昭和21年(1946年)2月11日 |
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出生地 | 大分県南海部郡鶴見町(現:佐伯市) |
出身校 | 拓殖大学大学院修了 |
学位・資格 | 経済学修士 |
前職・院外役職(現在) | 学校法人役員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
衆・文部科学委員会委員 衆・環境委員会委員 |
世襲の有無 | 無 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
比例近畿ブロック(大阪11区) |
当選回数 | 1回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(二階グループ) |
党役職(現在) | 国会対策委員会委員 |
会館部屋番号 | 衆・第2議員会館741号室 |
ウェブサイト | やる気 元気 イワキ ドットコム |
目次 |
[編集] 来歴
- 漁師の9人兄弟の末娘として誕生。
- 大分県南海部郡鶴見町(現:佐伯市)出身。
- 1964年、日本文理大学付属高校卒業。
- 1968年3月、別府大学文学部史学科卒業。学生時代は大分大学の衛藤晟一等とともに生長の家学生会全国総連合(生学連)で右翼学生運動に従事する。別府大学自治会会長。9月、総理府主催第2回青年の船に団員として参加。
- 1971年3月、拓殖大学大学院経済学研究科修士課程修了。7月、第1回少年の船実施(その後財団法人少年の船協会を設立し、理事長・団長を兼任。第1回から現在に至るまで約50,000人以上の青少年を教育指導する)。
- 1972年12月、第33回衆議院議員総選挙に初めて無所属で大分県選挙区から出馬、村山富市(後の第81代内閣総理大臣)らに破れ落選。
- 1980年12月、第1回難民キャンプボランティア活動隊実施(第1回から現在まで数十回実施、カンボジア・ラオス・ベトナム・インド・チベット難民キャンプのボランティア活動隊の団長として活躍)。
- 1981年4月、国際ボランティア協会会長に就任。
- 1985年4月、学校法人国際開洋学園を設立、理事長に就任、国際開洋第一高等学校(静岡県)を設立し学校長に就任。着工の日には宮沢喜一も出席していた。
- 1987年7月、国際開洋カナダハイスクールを創立、理事長に就任、学校長も兼任。
- 1990年4月、学校法人国際開洋学園、和歌山国際開洋第二高等学校(和歌山県)を設立し学校長に就任、日本カナダ文化交流協会会長に就任。
- 1992年4月、日本の観光を考える百人委員会委員就任、財団法人国民の祝日を祝う会理事に就任、日中婦人学会会長に就任。
- 1992年7月、タイのワットサケオ身障者施設内に井脇ノブ子記念病院、井脇教育館(小学校)を建設。
- 1995年7月、参議院議員選挙和歌山県選挙区、新進党より出馬、140,570票得票し現職に2万票まで迫るが次点。
- 1996年10月、衆議院議員総選挙静岡県3区、新進党より出馬、70415票得票、次点。
- 1998年7月、参議院議員通常選挙静岡県選挙区、自由党より出馬、132,328 票得票、落選。
- 落選後、国際開洋第一高等学校が寮内の薬物汚染の実態を発表。静岡県からはその後立候補していない。
- 2000年6月、衆議院議員総選挙比例東海ブロック、自由党より出馬、比例区順位2位まで当選、比例順位4位の為落選
- 2001年7月、第19回参議院議員通常選挙比例区、自由党より出馬、13,994票得票落選。
- 2005年9月11日の衆議院議員総選挙において、自由民主党公認で大阪11区より出馬、98,613票得票し民主党前職に3万票まで迫るが次点。重複立候補した近畿比例区で復活、初当選する。
- 2005年11月、胸の痛みを訴え、緊急入院。
[編集] 特徴
- 座右の銘は「人間やる気だ、ガッツだ、根性だ!」。キャッチフレーズは「やる気、元気、井脇!」。
- 独特な風貌で、ピンク色の男物のパンツスーツと、ループタイ(紐状のネクタイ)を好んで愛着している。自身の容貌が男性と間違われ易い為、女性らしく見せる事が目的であると言う。『週刊文春』からは「ピンク野武士」、『週刊現代』からは「ピンク女装代議士」との渾名を与えられた。
- 一人称は「ワシ」。
- 学生時代は競泳選手として活躍。国民体育大会への出場経験も持つ
- 一部では井脇の容姿が亀井静香に似ていると指摘される。
- 阪神タイガースファンである。村上ファンドの問題で怒っていた。
- 選挙活動を始めた当初は資金が無く、ポスターがガリ版刷りであった。
- 旧自由党時代からの西村眞悟の盟友でもある。
- 過去に鈴木宗男の講演会にビデオ出演したこともある。
- 旧自由党、新進党での出馬の経験もあり、当時は小沢一郎を師としていた。
- 28歳の時に婚約をしたが、結婚には至らなかった。ちなみにその婚約者はその後違う女性と結婚し、今は現役国会議員であると語った。
- 2005年9月末の公務員給与に関する合同部会では、「いじめや虐待の問題が年間約二万件もある」と言う理由で人権擁護法案の再提出を求めた。
[編集] 著書
- 『おまえらがかわいいけんなぐるんや』(住宅新報社)
- 『子供は変えられる・7日間あれば十分だ』(青春出版社)
- 『ノブ子奮戦記 元気な イワキ参議院選ファイト35日』(行研出版社)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- やる気 元気 イワキ ドットコム(公式サイト)