83会
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83会(はちさんかい)とは2005年9月の第44回衆議院議員総選挙で初当選した自由民主党の新人代議士によって構成される会である。
83会の名は、当初83名の新人議員(俗に小泉チルドレンとも称される)が誕生したことにちなんでいる。
2006年1月に松本和巳が陣営幹部による選挙違反事件の責任を取って議員を辞職し、その後同年10月の衆院補欠選挙で2人の新人代議士が誕生したため現在84人になっている。
[編集] 概説
2005年9月30日設立当初は任意団体だったが、2006年3月17日総務大臣に政治団体設立届を提出した。代表者は最年長(政治団体設立時点で64歳2ヵ月)の土屋正忠、最年少は杉村太蔵(政治団体設立時点で26歳7ヵ月)。女性議員は16名(そのうち新人候補として小選挙区で勝利したのは稲田朋美、片山さつき、川条志嘉、渡嘉敷奈緒美の4名)。入閣第1号は猪口邦子。
2005年9月総選挙で期待されていなかったにもかかわらず、全く想定外の当選を果たしてしまった若手議員が多いと評される。そのため元幹事長の加藤紘一からは次回の選挙で当選できるのは25人くらいと酷評された。その一方で、立候補まで中央政界と無縁だった者が何人かいるため、既存の中央政界の常識に捉われることなく政治活動を行うことが期待されている。
小泉純一郎総裁・武部勤幹事長は彼らに対してしばらく既存の派閥に属さないようにと指示したため、事実上の派閥として小泉派が旗揚げされたのではないかと報道機関に注目され、また会について紹介する書籍UBUDASを出版したが、すでに半数近くの議員が派閥に所属しており、選挙直後の結束はなく「83会」の卒業アルバムとまでいわれた。
安倍晋三総裁の誕生の後、10月の補欠選挙で当選した亀井善太郎と原田憲治の2人が入った。
10月以降、郵政造反組復党問題が発生するが、郵政民営化を大義に選挙を戦った83会の新人議員には復党に批判的な意見が多かった。しかし、最終的に平沼赳夫を除く11人が自民党に復党した。また、落選した造反組も順次復党が認められる見込みが報じられており、83会の議員は次回選挙において厳しい状況に置かれている。
[編集] 83会の議員
- 2006年10月の入会
- 2006年1月に退会