マイケル・フィニスィー
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マイケル・フィニスィー (Michael Finnissy, 1946年 - ) は、イギリスの作曲家、ピアニスト。(フィニシー、或いはフィニッシーとも表記される。)
目次 |
[編集] 序説
フィニスィーはブライアン・ファニホウと並んで、新しい複雑性に関った作曲家とされている。
多くの「新しい複雑性」の作曲家がほとんど寡作で親しみにくい衒学的な態度を見せるのに対して、フィニスィーは作品カタログ除外作品を省いても250作を超える作品数と多くの編曲群を残している。そして現在では多くのピアニストへ主要なレパートリーを供給し、音楽の歴史を鳥瞰するような態度が認められる。初期から民族音楽や身体言語などの引用という形で30年ほど続いた歴史との確執は、最終的に過去のイディオムを自作の数列表で読み直すような作曲法で帰結させている。
[編集] 第一期(1966-1979)
イギリスは大変に保守的な国柄のせいなのか、前衛イディオムに関心を持つというだけで作曲家扱いがなされないという文化的僻地に留まっていた。そのような中、作品カタログからは外された彼の「交響曲第一番(1965-66)」ではオルガンのクラスター音響や、木管楽器の跳躍音程の炸裂に既に彼の個性を決定付ける要素が散りばめられる。
この時期の個性を決定付けたのは「歌(1966-1976)」シリーズであり、大半が独奏(或いは独唱)のために書かれた。第五番から第九番までのピアノソロでは、全音域を隈なく跳躍する華麗な書法と、それとは無関係に凡長な沈黙(或いは減衰し尽くすくらいにまでに長い持続)が対比され、楽譜の外観とは対照的に非常に聴覚的なインパクトは平易である。同系統の作品を多作する傾向は全創作暦に一貫して見られ、「ミステリーズ(1976-79)」、「世界(1974)」といった大室内アンサンブル作品で評価を確立した。
作曲家本人以外演奏不可能、と思われたピアノソロ作品は当時アレクサンダー・エイバークロンビィ、ジェフリー・ダグラス・マッジ、ジャクリーヌ・メファノ、ロナルド・ラムスデン他によって演奏されていた。
この時期の作品は主にEdition Modernとツェルボーニ出版社とウニフェルザル出版社から出版されていたが、現在はカタログからほぼ全て外され、販売されていないものがほとんどである。一部の作品がBMICで閲覧できる。
[編集] 第二期(1980-1993)
イタリア、オランダ、フランスといった各地で作品が演奏された後、フィニスィーはロンドンへ戻った。この時期の最初の作品にはイギリスピアノ音楽史上最も演奏が困難な、ピアノ独奏のための「ピアノ協奏曲第四番(1980/rev.1996)」が書かれた。跳躍音程が依然として目立つものの非合理時価で囲まれた音符群は単音である。16分音符を羅列したセクションすら取り込まれ、1996年に再編集を行ったこともあり、音像は格段に見やすく構成の対比も簡易化が目立つ。ブライアン・ファーニホウは、この作品の書法の強度を「メタ・ピアノ」と呼んだ。
この時期には「a:bの非合理時価を互い違いに掛ける」独自のリズムシステムを編み出し、創作ペースの維持が容易になった。1979年辺りを境に跳躍音程の使用が減り、聴きやすい順次音程の使用へ興味を移し始める。「イングリッシュ・カントリー・チューンズ (1977/rev.1982-1985) 」は自作自演による1979年の初演後に徹底的に改訂され、限定された音域内を執拗に構成音を変えて長大な持続力を得る書法が頻出してくる。
「キャターナ(1984)」、「コントルダンス(1985)」といった作品には跳躍音程と幅広い音量の増減はほぼ姿を消し、流麗な旋律が聞かれるようになる。編曲(再作曲)の対象もジュゼッペ・ヴェルディやヨハン・シュトラウス2世からジョージ・ガーシュウィン、ヤーコプ・オブレヒトに移っているのは、対象となった作曲家の性格を吟味すれば偶然ではないことが理解されよう。この時期には世界各地の民俗音楽を独自の音楽語法で再構成する姿勢が強く、フィンランド、オーストラリア、日本、ルーマニアなどの国々がターゲットとなった。この姿勢と試みが第三期の作品となる「様々な国家」へ帰結した。
楽器間のバランスを考慮したかどうかも疑わしい変則編成の作品がこの時期に多いのは、単なる演奏家不足から来たものであり、彼の個性を理解した演奏家に出会えるのはまだ先の話になる。
この時期の作品は主にUnited Music Publishers Ltdから出版されている。
[編集] 第三期(1994-)
この時期のフィニスィーは作曲と演奏の両面で、次世代の教育へ強い関心を示すようになった。第二期に書き直された「シュトラウス・ワルツ(1989)」はジョナサン・パウエルやニコラス・ハッジスといった当時20歳前後のピアニストに献呈されており、また現在も盛んに活躍していることからも、才能の目利きの鋭さを伺える。その他にも1966年から1996年までの全ピアノ曲演奏に踏み切ったイアン・ペイス、イヴァ・ミカショフ最高の弟子と称えられるジェイムズ・クラッパトン、ロルフ・ヒント、イギリス人史上二人目の現代音楽対象ガウデアムス国際演奏コンクール優勝者のフィリップ・ハワード、ステファン・グートマンなど、高精度で現代作品を演奏できるピアニストが次々とイギリスから現れる。この全てのピアニストがフィニスィー演奏に何らかの形で関っており、かつてのフェルッチョ・ブゾーニが多くのピアニストを育てた事情に近似しているのが興味深い。
イアン・ペイスの覇気に打たれた彼は、全曲五時間以上を要するピアノ独奏のための「音で辿る写真の歴史(1995-2001)」を完成させ、ペイスの手で全曲初演がなされた。「音で聞く自叙伝」とも語られるこの作品は、自らの人生そのものの描写がかつてほどには激することなく続いてゆく。全十二曲の中の最終曲「描き出された陽光を伴う輝き」に至ってはフィニスィーのピアノ音楽の頂点に位置するほどの、響きの純度の高い書法が認められる。この頃から作曲の弟子の国際的な活躍を目の当たりにすることも増え、1998年にはイギリス人では史上二人目のISCM名誉会員に選出された。CDのリリースもMETIERから体系的に出され、音でこの作曲家の真価を確認できる比率が飛躍的に高まった。(第一期の作品のリリースは未だほとんどない。)
第二期までは非常に緻密にパート同士の一致を確定する書法へ固執したが、「無頓着な裸(2001)」等のアンサンブル作品ではスコアを持たず、パート間の入りを演奏者同士で決定する柔軟な姿勢に結実している。厳密に確定しても結局は演奏家同士で待ったり、先読みしたりといった煩わしさを回避するのが目的であろう。
この時期の作品は主にオックスフォード大学出版社から出版されている。
[編集] 受容状況
[編集] (2004-)
- 2004年7月、フィニスィーは第一期に世話になっていたEdition Modern(現在はカールスルーエへ事務所移転のため、トレメディア音楽出版社と名乗っている。)と再契約し、主に第一期と第三期以降の作品を出版することが決定した。とはいっても、Edition Modern時代の作品を復刻する訳ではなく、未出版の作品を新規に出版する意向の様である。
- 2004年はフィニスィー作品のみのピアノリサイタルがアメリカ、イギリス、日本の三カ国で行われるという、前代未聞の事態へ発展した。しかも、その三晩全てがヴェルディ編曲集を取り込んでいる。
- フィニスィーはかつて「ヴェルディ編曲集を完成させる意向は現時点で既にない。出来上がったものを全て公開する」と断った上でUMPから1995年に出版した。ところが今年になってヴェルディ編曲集を完成させる計画が再浮上し、10月8日にはデイヴィッド・バーグの高弟マリリン・ノンケンが、ヴェルディ編曲集から第二十二番の世界初演を含むフィニスィーの個展をニューヨークのミラー・シアトレで開催した。11月25日にはジョナサン・パウエルがヴェルディ編曲集の第四巻の世界初演を含んだ、2004年時点のヴェルディ編曲集の選集をロンドンのBMIC内ウェアハウスで演奏した。
[編集] (2005-)
- 現在は「音で辿る写真の歴史」の二人目の全曲完奏者であり、オーストラリア出身のピアニスト兼指揮者マーク・クヌゥプからの委嘱作品、ノンケン・ノースウォーシィー・デュオの為の作品などを作曲中である。2005年もアメリカ、ミルウォーキー州で個展を開催した。前述のパウエルはヴェルディ編曲集の全36曲の世界初演を2005年の11月にウェアハウスとダラム大学で行った。BMICのネット普及が現時点で頓挫しており、近作の版権を止むを得ずOxfordに預けたままにしてあるなど、未だにスムーズに全作品が閲覧できる状況ではない。
[編集] (2006-)
- 2006年にはイアン・ペイスを中心としたメンバーによって、還暦が6月に祝われ新作も書き下ろされた。イアン・ペイスによる「音で辿る写真の歴史」の全曲再演も成功した模様であり、録音のリリースが検討されている。ロシアのピアニストニカ・シロコラッドによる抜粋演奏もファンの間で話題となった。9月23,24日の両日は「フィニスィー・ウィークエンド」と題され、創作の42年間を追う六つのコンサートとレセプションを含めた盛大な誕生会がBMICとOUPの共同によりロンドンで行われた。「イングリッシュ・カントリー・チューンズ」の作曲者本人による20年ぶりの演奏になった。
[編集] (2007-)
- ヴェルディ編曲集第三巻の決定稿がアメリカでマリリン・ノンケンの手によって初演予定である。
[編集] 外部リンク
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