ピアノソナタ第3番 (ショパン)
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フレデリック・ショパンのピアノソナタ第3番(ロ短調 作品58)は、1844年に作曲され、翌年出版されたピアノソナタである。ド・ペルテュイ伯爵夫人に献呈。「無理やりくくりつけた」と評された前作ピアノソナタ第2番(葬送)とは打って変わって古典的構成美を特徴とし、曲想、規模ともに堂々たる大作である。
目次 |
[編集] 楽曲構成
[編集] 第1楽章
決然とした第1主題、ショパンらしい優雅で甘美な第2主題からなり、主題がソナタ形式にはふさわしくないとの批判もあるものの、ショパンの個性と創意が存分に生かされている。ロ短調で作曲した作曲者の作品はそれほど多くないが、ピアノ中心主義者としては運指の簡単なロ長調、音色の華やかなヴァイオリン的表現に近いのは開放弦で弾きこなせるニ長調、であり両者の中間点としてロ短調を選んだ可能性がある。
第1主題に出現する左手の和音は10度音程以上の広い和音であり、一度に弾くことは難しいので多くのピアニストはアルペジョで誤魔化している。もっとも、ヴァイオリンでもニ重音を超える重音はアルペジョで演じる通例があり、ピアノ演奏が同様の結果になったのは作者の意図するところである。クロイツェル・ソナタ冒頭の重音のような構成であるし、第2主題は非常に美しい。(五度音程も多いので)いずれもヴァイオリンで旋律線が容易に追跡でき、作曲者なりのヴァイオリン・ソナタの意図が見え隠れする。
[編集] 第2楽章
深刻な内容の多いショパンのスケルツォには珍しく、即興的で諧謔味を含む。主題部で右手最低音はG音であり、ヴァイオリンのそれと同一である。第1楽章同様に旋律線をヴァイオリンで追跡できる。“molto vivace”という表記は、ショパンの見解では高速演奏であるが、どの程度の高速であるのかまでは言及していない(当時では不治の病である肺病に罹患していた作曲者が、生命を意味するvivaceという語に何を込めていたかは研究が必要である)。中間部ではロ長調に転じ瞑想する。エンハーモニックな転調でロ長調―変ホ長調が対峙するのは、シューベルトの即興曲にも例がある。
[編集] 第3楽章
ラルゴ。ロ長調、三部形式。
ノクターン風の甘美な楽章である。他の楽章に比べると冗長に感じられるが、旧世代のピアニストは中間部を速く弾くことで構成感を高めていた。第1主題の旋律は、ピアノで演じるには贅沢なほど流暢優美で、室内楽編曲に適している。中間部では嬰ト短調―変イ長調と、ピアノ協奏曲第1番第2楽章に相似た展開をする。再現部は左手部に鋭いリズムをつけ、単調さを避けている。
[編集] 第4楽章
フィナーレ:プレスト、ノン・トロッポ、アジタート。ロ短調、ロンド形式。
この大曲のしめくくりにふさわしい、情熱的で力強い楽章。ヴィルトゥオーゾ的技巧を要する。主題は序奏和音の後すぐ提示され、ロンド形式の通り繰り返される。エンハーモニックな転調は随所にあるが、終結はロ長調である。
[編集] 補足
この後の作品であるチェロ・ソナタとの対比から、作曲者は晩年に入って、初期に幾度か試みた室内楽に、再び関心を示していたことが読み取れる。このことは当然、この作品の作曲にも影響しており、ピアノ的ではなく、ピアノ三重奏的なパッセージが印象的な第1楽章の提示終結部や、ピアノ伴奏とヴァイオリンのオブリガートのような第2楽章に、その証拠を容易に確認することができる。ソナタは全楽章を一度に演奏するのが今日の演奏会の常であるが、ショパン作品は小品にこそ優雅さが現れるのであり、分割編曲するなどの試みも傾聴に値する。
[編集] 解釈
このソナタはショパンの作品の中でも、演奏家によって解釈が最も分かれる作品でもある。第1楽章は作曲者によるテンポ変更は一切ないはずなのに、多くのピアニストは要所要所でショパンの意向を無視したかのようなテンポ改変を行うことが慣例になっており、ショパン国際ピアノコンクールでもこの慣例は認められている。
- なぜ、このような多様な解釈が存在するのかについては、明らかではない。第1楽章を全曲インテンポで弾くのはきついという「前時代」的な見解は、現在では否定されつつある。
- 同時期に作曲された演奏会用アレグロは、本来協奏曲として独奏ピアノと管弦楽とで分けて演奏するべきなのに、すべてピアノ1台で演奏させるから著しく複雑難解になっている。作曲者の(結婚すら避ける)孤独を好む人間性が、多人数の管弦楽演奏者との交流を避ける結果になっている。結果全部1人で演奏することになってしまい、これと同様の視点が本作にも該当する。[要出典]
- 実演実験すると、Allegro maestosoにはある点、式典祭事的な意味があり、一定以上の速度であると醜悪で鑑賞に堪えない結果になる。転調も激しい展開部は落ち着いた演奏が聴き手には構成的といえる。[要出典]
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