ショパン国際ピアノコンクール
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ショパン国際ピアノコンクール(ショパンこくさいピアノコンクール)は、ポーランドの生んだ大作曲家、ピアニストのフレデリック・ショパンを記念して1927年に第1回が開催されたピアノ演奏コンクール。現在世界的に最も権威あるコンクールのひとつで、ピアニストを目指す者にとっては最高の登竜門のひとつとみなされている。
目次 |
[編集] 概要
ショパンの故郷であるポーランド、ワルシャワで5年に一回、ショパンの命日の10月17日の前後3週間にわたって開催され、過去の入賞者は世界の巨匠が名を連ねる。第二次世界大戦中に開催の中断があった。演題はショパンのみの曲を対象とする。
第5回までの優勝者はソ連、ポーランドの出身者によって占められていたが、1960年にイタリアのマウリツィオ・ポリーニが、審査員長のアルトゥール・ルービンシュタインをして「(技巧面では)われわれ(審査員)の誰よりもうまい」と言わしめるほどの隔絶した実力で優勝して以来、西側諸国の出身者からも優勝者が出るようになり、現在のクラシックのピアニストの世界で頂点に立つ才能を世に送り出している。
[編集] エピソード
- 第1回コンクールには、ソ連の作曲家ショスタコーヴィチが参加している。彼が第2位に入賞したという情報も見かけられるが、公式の第4位までの入賞リストには含まれていない。
- このコンクールは注目度が高いだけに数々のスキャンダルも巻き起こしている。第5回では、ウラディーミル・アシュケナージが2位となったことに憤慨したミケランジェリが審査員を辞任するという騒動があった。また第10回はイーヴォ・ポゴレリチの演奏を巡って審査委員の意見が分かれ、第1次予選を通過したことに抗議してルイス・ケントナーが審査員を辞任し、その後第3次予選でポゴレリチが落選したことに反発したマルタ・アルゲリッチが怒って審査員を辞任するという大騒動が巻き起こった。ギャリック・オールソンとジェフリー・スワンの一騎打ちとなった第8回(1970年度)は、スワンが意図的に第三次予選で落とされ、会場前で抗議ビラが配られるという事態へ発展している。内田光子の日本人最高位入賞(2位)が現在も破られていないにもかかわらず、当時ほとんど国際的に騒がれなかったのはこのためである。
- 2005年度は応募者全員の申し込みを受理して、ワルシャワで予備選が行われた。その結果ポーランド人と日本人がほぼ20名ずつ通過し、ローカルなコンクールという印象が強くなった。既にキャリアのあるコンクール荒らしは予備選や一次予選で切られていることが多かった。その結果本選に進んだ12人のファイナリスト中、コンクールに慣れていない7人が第一楽章の出だしをミスタッチするというハプニングが起きた。イム・ドンヒョクは第二楽章の終わりで「鍵盤内に工具を置き忘れている」ことに気付き、一旦演奏を中断して修理の後に再開した。その結果彼は三位に終わったが、抗議の意を示す為授賞式を途中で退場している。
[編集] 過去の優勝者
- 第1回 (1927年) - レフ・オボーリン
- 第2回 (1932年) - アレクサンドル・ウニンスキー
- 第2位のイムレ・ウンガルとは同点で、コイン・トスによって順位を決めた。
- 第3回 (1937年) - ヤコブ・ザ-ク
- 第4回 (1949年) - ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ、ベラ・ダヴィドヴィチ
- 第5回 (1955年) - アダム・ハラシェヴィッチ(第2位はウラディーミル・アシュケナージ)
- 第6回 (1960年) - マウリツィオ・ポリーニ
- 第7回 (1965年) - マルタ・アルゲリッチ
- 第8回 (1970年) - ギャリック・オールソン
- 第9回 (1975年) - クリスティアン・ツィメルマン
- 第10回 (1980年) - ダン・タイ・ソン
- 第11回 (1985年) - スタニスラフ・ブーニン
- 第12回 (1990年) - 該当者なし(第2位はケヴィン・ケナー)
- 第13回 (1995年) - 該当者なし(第2位はフィリップ・ジュジアノとアレクセイ・スルタノフ)
- 第14回 (2000年) - リ・ユンディ
- 第15回 (2005年) - ラファウ・ブレハッチ
[編集] 主な日本人参加者
- 第3回 - 原智恵子(第15位入選、特別聴衆賞)(日本人初の出場)
- 第5回 - 田中希代子(第10位入賞)(日本人初の入賞)
- 第6回 - 小林仁(入選・奨励賞)
- 第7回 - 中村紘子(第4位)
- 第8回 - 内田光子(第2位、準優勝)
- 第10回 - 海老彰子(第4位なしの第5位)
- 第11回 - 小山実稚恵(第4位)
- 第12回 - 横山幸雄(第3位)、高橋多佳子(第5位)
- 第13回 - 宮谷理香(第5位)
- 第14回 - 佐藤美香(第6位)
- 第15回 - 関本昌平、山本貴志(ともに第4位)、レイチェル・ナオミ・クドウ(アメリカ国籍、入選)、大崎結真(入選)、根津理恵子(入選)