パリ・ダカール・ラリー
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パリ・ダカール・ラリー(正式名称ユーロミルホー・ダカールラリー、通称パリ・ダカ)はラリー競技大会の一つで、「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われている。
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[編集] 概要
1979年から始まり毎年行われていて、1月1日(近年は前年の12月末)にフランス首都・パリからスタートし、スペインのバルセロナからアフリカ大陸に渡り、セネガルの首都、ダカールまでのおよそ12000kmを走る。1981年より国際自動車連盟と、国際モーターサイクリズム連盟の公認レース。
途中ほとんど集落や救護施設のないサハラ砂漠を縦断する過酷な競技なため、時折、死者・負傷者も出る。競技区間には、西サハラなど、政治的に不安定な国も入っていることも「世界一過酷」と呼ばれるゆえんである。
1986年の大会では6人の死者を出したことがある。
1999年には、テレビ局の取材担当者らがテロ組織に襲われた。また、今日はテロ組織だけでなく強盗も現れ、ドライバーがその被害・脅迫に遭遇することは少なくない。
開始当時の主催者はティエリー=サビーヌ。後に競技期間中に起こったヘリコプター墜落事故(1986年)により亡くなり彼の遺志は父親であるジルベール=サビーヌによって引き継がれた。しかし、ジルベールも高齢を理由に1993年に引退。主催者権を売却し、1994年からはフランスのアモリー・グループである「ASO」が主催している。
冠スポンサーは2006年はポルトガルでロト(日本でいえば宝くじ)を販売するユーロミルホーが務めた。過去にはテレフンケン(ドイツの電機メーカー)、トタル(フランスの石油メーカー)、テレフォニカ(スペインの通信会社)等が務めている。日本企業ではパイオニアが冠スポンサーを務めた。
フランスなど欧米を中心とした選手とメーカーが、かつて植民地として支配していたアフリカ諸国で行っている競技だけに、植民地主義的だとする批判が根強く存在する(テロの標的にされる理由の一つ)。アフリカの一般住民の住む地域を競技車両が猛スピードで駆け抜け、住民と競技車の事故も発生しており、批判されるのもやむを得ないとする見方も多い。
[編集] コース
コースは毎年変わり、時にはスタート/ゴール地点も変わる事がある。
近年の大会では、
- 1992年 - アフリカ大陸縦断の形をとってゴールを南アフリカ共和国のケープタウン(ル・カップ)に置く。
- 1994年 - パリとダカールを往復するコース(パリ・ダカール・パリ・ラリー)を実施。
- 1995年 - グラナダからスタートした。これを契機に近年ではパリからはスタートしなくなった。
- 2000年 - 前年の大会でテレビ局取材スタッフが襲撃されたことを受け、アフリカステージをダカールからスタートしてエジプト・カイロのギザのピラミッドにゴールを設定した。
- 2006年 - 2日連続で観客がマシンと激突し観客が死亡したため、16日目の決勝は打ち切られ、15日目に決勝を行う形で幕を閉じた。
スタートとなった都市は以下のとおり。
- 2002年 - アラス(フランス)
- 2003年 - マルセイユ(フランス)
- 2004年 - クレルモンフェラン(フランス)
- 2005年 - バルセロナ(スペイン)
- 2006年 - リスボン(ポルトガル)
以上のようにスタート・ゴール・コースが変わっても、通称は「パリ・ダカ」とされることが一般的。
[編集] 車両
- かつてはT1(市販車無改造クラス)、T2(市販車ベースの改造車クラス)、T3(プロトタイプ車)にグループが分かれていて、自動車にはこれにカミオン部門が加わっていたが、2001年にグループ分けが見直され、大まかには以下のようになった。
-
- プロダクション(無改造の市販車:二輪・四輪共通)
- スーパープロダクション(市販車ベースの改造車および競技専用車:二輪・四輪共通)
- カミオン(トラックベース)
- エクスペリメンタル(オートバイ部門でサイドカーや三輪車・四輪車)
※実際には更に燃料の種類や排気量で細分化される。
- 1997年からはワークスチームのプロトモデル(競技専用車)とガソリンターボエンジンを搭載しての参戦が禁止されたが、2001年から前記のようにスーパープロダクションという形でプロト解禁になった。但しガソリンターボ禁止令が続いているので今日ではガソリンNAエンジンの市販改造車が普通であるが、一方でヨーロッパではディーゼル車が見直されてきていることもあってターボディーゼルエンジンを採用するチームも増えてきた。三菱・パジェロエボリューションのライバルのひとつ、フォルクスワーゲン・レーストゥアレグはターボディーゼルを採用している。
[編集] パリ・ダカと日本
今日、日本のメーカーからは四輪部門に三菱自動車工業と日産自動車(日産は、2006年より選手のサポート以外の活動を自粛)が、トラック部門(カミオン)では日野自動車といったラリー関連に強いメーカーが参戦している。また、三菱自動車は2001年以降2006年まで現在総合優勝6連覇を果たしている。
二輪部門では現在日本メーカーのワークス参戦はないが、過去ヤマハ車は9回(メーカー別最多)、ホンダ車は5回の優勝を手にしている。
四輪市販車無改造部門にはトヨタ自動車がランドクルーザー100にて参戦、市販車無改造部門ディーゼルクラスで1.2.3フィニッシュをしているが、ほとんど知られていない。国産車で参戦実績があるのは前出のパジェロとランドクルーザー、レンジャーの他、トヨタ・ハイラックスサーフ(主に海外チーム)、三菱・チャレンジャー、日産・サファリ、日産・テラノ、いすゞ・ビッグホーン、いすゞ・ミュー、スズキ・エスクード等のクロスカントリー四輪駆動車だけではなく、構造上砂漠で不利な日産・パルサーGTi-Rやトヨタ・スターレットで参戦した強者もいた。 ちなみに市販車無改造部門とは乗員の安全を確保する装置(多点式シートベルト、補強材、補助前照灯など)、長距離を無給油で走行するため燃料タンクの増設、競技の安全を確保する装置(追い越し時の警告装置など)を装着する以外の改造が認められていない部門で、車台・駆動系・エンジン系は市販車と全く同じである。
カミオン部門では日野自動車が中型トラックのレンジャーで同社のワークスチームまたは菅原義正選手のプライベートチームから参戦して16年連続完走、1997年には部門1-2-3フィニッシュを達成している。
日本国内における大会のテレビ放送は、かつてはテレビ朝日がダイジェストを大会中毎日のように放送し、一部のニュース番組のスポーツコーナー内でも取り上げられた。総集編はテレビ東京系列や一部の衛星放送などで放映される。しかし、国内ではプロ野球やサッカー人気に加え同じモータースポーツであるF1とは異なり放送頻度が低く、引いては認知度が低いのが現状である。
そのためサーキット系レース以上に地域や企業のイベントで競技車両を展示したり、自動車メーカーの販売促進の一環として全国のメーカー系販売会社やショールームを選手が回って報告会を行うなどの取り組みが見られる。特に後者は三菱自動車が熱心で、篠塚建次郎選手がパリ・ダカに参戦して以来ほぼ毎年続けられ、現在は増岡浩選手の報告会が毎年2月~3月に開催されるのが恒例となっている。開催日が平日でも他府県から報告会を見に来るファンが多い。
なお篠塚選手が三菱自動車を退職する2002年まで篠塚・増岡両選手の報告会が開催された期間があり、2人揃って行動した年と別行動の年があった。別行動の場合は参戦車種の関係で篠塚選手がパジェロを扱うギャラン店系販売会社、増岡選手がRVRやチャレンジャーを扱っていたカープラザ系販売会社を担当した。
[編集] 四輪
[編集] オート歴代優勝者
年 | 大会 | ドライバー/コドライバー | マシン |
---|---|---|---|
1979年 | 1 | ジェネスター | レンジローバー |
1980年 | 2 | フレディ・コツリンスキー/ルッフェルマン | フォルクスワーゲン |
1981年 | 3 | ルネ・メッジ/ジロー | レンジローバー |
1982年 | 4 | ベルナルド・マロー/マロー | ルノー |
1983年 | 5 | ジャッキー・イクス(ベルギー)/ブラッスール | メルセデス |
1984年 | 6 | ルネ・メッジ/ルモワン | ポルシェ |
1985年 | 7 | パトリック・ザニローリ/タシルバ | 三菱 |
1986年 | 8 | ルネ・メッジ/ルモワン | ポルシェ |
1987年 | 9 | アリ・バタネン(フィンランド)/ジロー | プジョー |
1988年 | 10 | ユハ・カンクネン(フィンランド)/ピローネン | プジョー |
1989年 | 11 | アリ・バタネン(フィンランド)/ベルグルンド | プジョー |
1990年 | 12 | アリ・バタネン(フィンランド)/ベルグルンド | プジョー |
1991年 | 13 | アリ・バタネン(フィンランド)/ベルグルンド | シトロエン |
1992年 | 14 | ユベール・オリオール/モネ | 三菱 |
1993年 | 15 | ブルーノ・サビー(フランス)/セリエス | 三菱 |
1994年 | 16 | ピエール・ラルティーグ(フランス)/ぺラン | シトロエン |
1995年 | 17 | ピエール・ラルティーグ(フランス)/ぺラン | シトロエン |
1996年 | 18 | ピエール・ラルティーグ(フランス)/ぺラン | シトロエン |
1997年 | 19 | 篠塚建次郎(日本)/マーニュ | 三菱 |
1998年 | 20 | ジャン・ピエール・フォントネ(フランス)/ピッカール | 三菱 |
1999年 | 21 | ジャン=ルイ・シュレッサー(フランス)/モネ | シュレッサー |
2000年 | 22 | ジャン・ルイ・シュレッサー(フランス)/マーニュ | シュレッサー |
2001年 | 23 | ユタ・クラインシュミット(ドイツ)/シュルツ | 三菱 |
2002年 | 24 | 増岡浩(日本)/メモン | 三菱 |
2003年 | 25 | 増岡浩(日本)/シュルツ | 三菱 |
2004年 | 26 | ステファン・ペテランセル(フランス)/ジャンポール・コトゥレ(フランス | 三菱 |
2005年 | 27 | ステファン・ペテランセル(フランス)/ジャンポール・コトゥレ(フランス) | 三菱 |
2006年 | 28 | リュック・アルファン(フランス)/ジル・ピァール(フランス) | 三菱 |
[編集] 日本を代表する主なパリダカドライバー
- 増岡浩(四輪部門、三菱自動車)
- 篠塚建次郎(四輪部門、三菱自動車→日産自動車)
- 池町佳生(二輪部門→四輪部門、日産自動車→トヨタ車体 TLC)
- 片山右京(四輪部門、フリーランス)
- 菅原義正(二輪部門→四輪部門→カミオン部門、本田技研工業→三菱自動車→日野自動車)
- 夏木陽介(四輪、俳優)
[編集] 二輪
[編集] 歴代優勝者
年 | 大会 | ライダー | マシン |
---|---|---|---|
1979年 | 1 | シリル・ヌヴー | ヤマハ |
1980年 | 2 | シリル・ヌヴー | ヤマハ |
1981年 | 3 | ユベール・オリオール | BMW |
1982年 | 4 | シリル・ヌヴー | ホンダ |
1983年 | 5 | ユベール・オリオール | BMW |
1984年 | 6 | ガストン・ライエ(ベルギー) | BMW |
1985年 | 7 | ガストン・ライエ(ベルギー) | BMW |
1986年 | 8 | シリル・ヌヴー | ホンダ |
1987年 | 9 | シリル・ヌヴー | ホンダ |
1988年 | 10 | エディー・オリオリ | ホンダ |
1989年 | 11 | ジル・ラレイ | ホンダ |
1990年 | 12 | エディー・オリオリ | カジバ |
1991年 | 13 | ステファン・ペテランセル(フランス) | ヤマハ |
1992年 | 14 | ステファン・ペテランセル(フランス) | ヤマハ |
1993年 | 15 | ステファン・ペテランセル(フランス) | ヤマハ |
1994年 | 16 | エディー・オリオリ | カジバ |
1995年 | 17 | ステファン・ペテランセル(フランス) | ヤマハ |
1996年 | 18 | エディー・オリオリ | ヤマハ |
1997年 | 19 | ステファン・ペテランセル(フランス) | ヤマハ |
1998年 | 20 | ステファン・ペテランセル(フランス) | ヤマハ |
1999年 | 21 | リチャード・サンクト | BMW |
2000年 | 22 | リチャード・サンクト | BMW |
2001年 | 23 | ファブリツィオ・メオーニ(イタリア) | KTM |
2002年 | 24 | ファブリツィオ・メオーニ(イタリア) | KTM |
2003年 | 25 | リチャード・サンクト | KTM |
2004年 | 26 | ナーニ・ロマ(スペイン) | KTM |
2005年 | 27 | シリル・デプレ(フランス) | KTM |
2006年 | 28 | マルク・コマ(スペイン) | KTM |
[編集] 参戦したことがある日本人
- 木下博信 - 埼玉県草加市の現在の市長。同市議会議員時代の2001年に参戦し、完走した。
- 博田巌 - 高知県出身。ラリーレイド・モンゴルなどでの優勝経験あり。パリ・ダカール・ラリーでは上位入賞を果たす。
- 山田秀靖 - モータースポーツ・ジャーナリスト及びカメラマン。パリ・ダカール・ラリーでは初期の頃から取材活動を続けている。日本に紹介されるこのラリーの画像の殆どは氏の撮影によるものである。パリ・ダカール・ラリーでは完走経験有り。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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