ドイツ社会民主党
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ドイツ社会民主党(ドイツ語名:Sozialdemokratische Partei Deutschlands、略称 SPD)は、ドイツ連邦共和国の中道左派・社会民主主義政党。社会主義インターナショナル加盟。
中道右派のキリスト教民主同盟 (CDU) と並ぶ二大政党の一つである。1998年から2005年11月までは緑の党と連立を組んで政権を担当し、11月以降は、CDU/CSUの連立与党となっている。ドイツ最古の政党であり、イギリス労働党、フランス社会党などと共に欧州の社会民主主義政党の中核的存在である。
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[編集] 歴史
[編集] 第一次世界大戦以前
1890年にドイツ社会主義労働者党(1863年-)から改称。当初はマルクス主義政党の一つであり、第二インターナショナルの中心勢力だった。
1899年、エドゥアルト・ベルンシュタインが、資本主義社会を革命で社会主義へ変えるのではなく議会活動を通じて社会を改良していくという修正主義を主張したが、1903年のドレスデン大会で当時は党内の主流派だったマルクス主義者の猛反対で、挫折した。しかし、後に再提案され、党は分裂し、ベルンシュタインの流れを汲むようになった主流派は第一次世界大戦に協力した。いっぽう反戦を主張したカール・リープクネヒトやローザ・ルクセンブルクなどの急進派は、独立社会民主党を結成した(ベルンシュタイン自身は反戦派で、独立社会民主党へ参加したが、後にSPDに復党している)。
[編集] ヴァイマル共和国(ワイマール共和国)時代
ドイツ帝国崩壊後の1918年に、社会民主党の主流派はドイツ革命の実権を握り、1919年にはヴァイマル共和国の最大勢力として政権を取ったが、議会で絶対的多数を取れず政情は不安定化。1930年代になると急速に台頭してきたナチスに対抗できず、1933年にヒトラー政権樹立を許し、ヒトラーによって解散させられた。
[編集] 第二次世界大戦後
第二次世界大戦後、社会民主党は復活したが、ドイツ東部のソ連占領地区(後の東ドイツ)の党員はドイツ共産党へ強制編入され、ドイツ社会主義統一党(SED)を結成した。その後東ドイツでは1989年に再建されるまで社会民主党は禁止された。
西ドイツ側の社会民主党は、クルト・シューマッハーを中心として再建された。1959年にバート・ゴーデスベルク綱領を採択してマルクス主義の階級闘争的な考え方と絶縁し、中道左派の国民政党へと転換した。1966年のキージンガー政権ではキリスト教民主同盟(CDU)と大連立を組み、次いで1969年には、自由民主党(FDP)とともに党首のヴィリー・ブラントを首相とする連立政権を発足させた。以後、ブラントとその後を継いだヘルムート・シュミット政権が1982年まで続いた。
その後16年近く続いたキリスト教民主同盟のヘルムート・コール政権の下で野党の座に甘んじた。この間、5年に及ぶ長い党内論争を経て、東欧革命が進行中の1989年12月に、エコロジー的、社会的に責任のある社会という概念を基礎にしたベルリン綱領を採択するが、積極的な戦略を立てることができず、党首や首相候補が頻繁に入れ替わるなどしたために、国民の支持を得ることができなかった。
なお、その東欧革命の結果、民主化の進む東ドイツで社会民主党が再建された。1990年2月の総選挙(人民議会選挙)では社会民主党が有利と考えられ、西側の党もブラントなどの遊説や資金援助で東側の党を支援したが、国家連合を経た緩やかな統合を主張した社会民主党は、急速な統一を主張するキリスト教民主同盟の主張の前に支持を失い、選挙ではキリスト教民主同盟(163議席)を大きく下回る88議席しか獲得できなかった。社会民主党は同年10月3日のドイツ再統一までの東ドイツ挙国一致内閣には参加したが、その影響力は限定された。さらに再統一後の同年12月の総選挙(連邦議会選挙)でも政権の奪回に失敗した。この時にも旧東ドイツ地域で得票が伸び悩んだ。
1998年、長期政権への飽きや景気の低迷などでコール政権の支持率が低下したこと、イギリス労働党の勝利以来続いた欧州社民主義政党の復調の流れを受けたことなどがあって連邦議会選挙で勝利。緑の党と連立を組んだゲアハルト・シュレーダー政権(赤緑連合)が誕生。2002年の選挙でも辛勝し、政権維持に成功した。
辛うじて再選されたものの、その後はシュレーダー政権の新自由主義的な改革(長期失業手当の生活保護との一本化=実質的廃止、実質賃金の抑制、大企業向けの減税策、年金支給額の抑制、医療保険における患者負担額の増加等)及びコール政権時代から続く大量失業への無策に対して国民及び一般党員の支持が得られず支持率は低迷。各州の州議会選挙でも敗北を重ねた。1976年には100万人を超えた党員数は2003年に66万3000人まで減少し、2004年の欧州議会選挙では全国得票率が第二次大戦後最低の21.5%まで低下した。このような状況で社会民主党は苦しい政権運営を強いられ、連邦州と同格のベルリンなどでは民主社会党との左派連合政権を組んだ。一方ではネオナチとも目される右派のドイツ国家民主党の州議会進出を阻めなかった。
2004年3月の臨時党大会では党をまとめきれなくなったシュレーダー首相が党首の座を降り、連邦議会議員団長のフランツ・ミュンテフェーリングが党首となった。
2005年5月、オスカー・ラフォンテーヌ元党首ら党内左派が離党して労働と社会的公正のための選挙オルタナティブ(WASG)を結成。さらにWASGは民主社会党と連合して「左翼党」を結成した。
2005年7月、シュレーダー首相は自らの信任決議案を与党に否決させ、連邦議会の解散総選挙(9月18日投票)に打って出た。解散当時の支持率は、最大野党キリスト教民主同盟(CDU)に大きく水を開けられており、政権を奪われる可能性が高いといわれていたが、選挙戦終盤に盛り返し、第1党の座を失ったものの同盟側とはわずか4議席差にまで肉薄。結局CDUが緑の党との連立交渉に失敗したために、首相ポストこそCDUのアンゲラ・メルケルに譲るものの、CDU/CSUとキージンガー政権以来の保革「大連立」を組んで、政権に参加し続ける見通しとなった。
2005年11月になるとミュンテフェーリングが辞意を表明。ブランデンブルク州首相のマティアス・プラツェックが党首に就任することとなった。旧東ドイツ出身者がSPDの党首になるのは初めてであり、CDUのメルケル首相と共に旧東ドイツ出身者が連立与党の党首としてドイツの舵取りをすることになるかと思われた。ところが4月には病気を理由にプラツェックも辞任してしまい、ラインラント・プファルツ州のクルト・ベック州首相が暫定党首に選出された。
[編集] 歴代党首
[編集] 第二次世界大戦前
- 1892年-1911年:アウグスト・ベーベル(August Bebel),パウル・ジンガー(Paul Singer)
- 1911年-1913年:アウグスト・ベーベル(August Bebel),フーゴー・ハーゼ(Hugo Haase)
- 1913年-1916年:フリードリヒ・エーベルト(Friedrich Ebert),フーゴー・ハーゼ(Hugo Haase)
- 1916年-1917年:フリードリヒ・エーベルト(Friedrich Ebert)
- 1917年-1919年:フリードリヒ・エーベルト(Friedrich Ebert)フィリップ・シャイデマン(Philipp Scheidemann)
- 1919年-1922年:オットー・ヴェルス(Otto Wels),ヘルマン・ミュラー (Hermann Müller)
- 1922年-1928年:アルトゥール・クリスピン(Arthur Crispien),オットー・ヴェルス(Otto Wels),ヘルマン・ミュラー(Hermann Müller)
- 1928年-1931年:アルトゥール・クリスピン(Arthur Crispien),オットー・ヴェルス (Otto Wels)
- 1931年-1933年:アルトゥール・クリスピン(Arthur Crispien),オットー・ヴェルス(Otto Wels),ハンス・フォーゲル(Hans Vogel)
- 1933年-1939年:オットー・ヴェルス(Otto Wels),ハンス・フォーゲル(Hans Vogel)
- 1939年-1945年:ハンス・フォーゲル(Hans Vogel)
[編集] 第二次世界大戦後
太字は連邦首相経験者。
- 1946年 - 1952年: クルト・シューマッハー(Kurt Schumacher)
- 1952年 - 1963年: エーリッヒ・オレンハウアー(Erich Ollenhauer)
- 1964年 - 1987年: ヴィリー・ブラント(Willy Brandt)
- 1987年 - 1991年: ハンス・ヨッヒェン・フォーゲル(Hans-Jochen Vogel)
- 1991年 - 1993年: ビョルン・エングホルム(Björn Engholm)
- 1993年 - 1995年: ルドルフ・シャーピング(Rudolf Scharping)
- 1995年 - 1999年: オスカー・ラフォンテーヌ(Oskar Lafontaine)
- 1999年 - 2004年: ゲアハルト・シュレーダー(Gerhard Schröder)
- 2004年 - 2005年:フランツ・ミュンテフェーリング(Franz Müntefering)
- 2005年 - 2006年:マティアス・プラツェック(Matthias Platzeck)
- 2006年 - :クルト・ベック(Kurt Beck)
[編集] 外部リンク
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