社会主義
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社会主義 |
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社会主義(しゃかいしゅぎ)は、生産と配分の手段・方法を、社会の成員全体で共有することによって社会を運営していく体制である。資本主義経済における階級的不平等の克服を目的とし、その手段として生産手段の社会化を実現することを主張している。
社会民主主義が、経済的平等と共に政治的平等をも同時に追求するのに対して、社会主義は、経済的平等の実現を優先させる点に特徴が見出される。なお、欧州では単に「社会主義」といった場合は社会民主主義のほうを指す(例:「社会主義インターナショナル」は社会民主主義政党の国際団体である)ので注意が必要である。社会民主主義や空想的社会主義、ユーゴスラビアの自主管理社会主義と区別するために、この項で述べる社会主義を「ソ連型社会主義」と呼ぶこともある。
※共産主義と混同しないよう注意すること。
目次 |
[編集] 形成と展開
社会主義は、ヨーロッパや北アメリカにおける近代資本主義社会の形成、特に産業革命の進展と市場経済の発展に伴って顕在化してきた貧困や階級対立といった社会的な矛盾や社会問題に対する批判の思想・原理として生成し、構築されてきた。
社会主義の考え方の背景には、共同体が解体される以前の相互扶助的な村落社会への憧憬が存在すると指摘される。しかしながら、そうした村落社会に見られる家父長的な支配・服従への反発も同時に存在する。このことから、平等で豊かなユートピアとして過去を幻視する視点が、社会主義には秘められており、そこから未来への展望を拓いていく側面があると言えるだろう。
社会主義のそうしたユートピア的な側面は、19世紀前半において、ロバート・オーウェンやサン=シモン、シャルル・フーリエらが提唱した社会主義の構想にみることができる。かれらの社会主義は、後にカール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスらから「空想的社会主義(=ユートピア社会主義)」と呼ばれた。
また空想的社会主義とは別に、フランスのバブーフやブランキなどの社会主義や、亡命ドイツ人のヴァイトリング、ヘーゲル左派から出たモーゼス・ヘスの社会主義など、空想社会主義以降に登場し、マルクスに先行した社会主義は、社会思想史上「初期社会主義」と呼ばれる。プルードンやバクーニン、クロポトキンも社会主義者だが、彼らは初期社会主義とは別に無政府主義(アナキズム)とされている。
社会主義を一個の理念体系として構築したのは、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスである。「科学的社会主義」と呼ばれたかれらの唱えた社会主義は、それまでの多くの社会主義が持っていた階級闘争や労働組合運動、政治運動についての理論に、資本主義の分析を理論的武器として提供し、ヨーロッパを始め全世界的規模で広範な影響力を持った。当時のさまざまな社会主義の潮流のなかで、マルクスとエンゲルスは、ロレンツ・フォン・シュタインの社会主義と共産主義の当時の解説本を参考に、かれら自身を「共産主義者」として規定した。両者の手になる『共産党宣言』には、プロレタリアートによるブルジョア的生産関係の変革と階級差別の廃止が謳われている。
ただし、当初マルクスとエンゲルスは、自分達の求める社会を「社会主義」と呼ぶことを嫌っていた。その理由として、産業革命により没落する貴族が、復古主義的な「反資本主義」活動に用いていたことをあげている。二人が社会主義を使い始めるのは、こうした貴族の運動が終焉を迎えてからである。
ウラジーミル・レーニンの指導したロシア革命の結果、世界で最初の社会主義国家であるソビエト社会主義共和国連邦が誕生した。
[編集] 社会主義の種類
[編集] 社会主義思想と独裁制
現在日本においては単に「社会主義」といった場合は、社会主義革命を掲げる政党による一党独裁制と結び付けられているが、当初のマルクス主義における社会主義・共産主義思想における社会は、どの段階においても民主を前提に構成され、特定の権力が民衆に圧力を与えない平等で安定した社会を目指すことが前提だった。
もともと社会主義は、どうしたら労働者階級の人々が立場を保障され、平等に暮せるかということに対して生まれた思想であり、当初は労働者階級を対象とした思想であった。この中では、まず資本主義社会があってその資本主義社会が完全に成熟された状態で、生産手段の社会化を行う社会主義社会となり、さらに社会主義社会において経済や生産技術が発達しきった段階で共産主義社会へ到達するとされ、社会主義は資本主義が発展しきった後の共産主義へ成長する過程の段階であるとされていた。生産力を持たない労働者階級は、19世紀以降の産業革命後の資本主義社会において、過度の競争により貧富・階級差が社会に生じたために、劣悪な職場環境・住環境の下での苦しい生活を余儀なくされており、当然彼らの中にも不満は増大していた。社会主義は、苦しい生活を送る労働者を救うための解決策として注目を浴びた思想だったのである。
しかし、困窮している階層であろうと、工農労働者というある特定の社会階層の利益を代弁する思想であって、より上位の階層を「階級闘争」という手段で敵視する思想である。社会主義革命の成立した国では、中流階級である知識人や自営農民の支持を得られたことが革命の成功要因のひとつとなった(そもそも革命指導者の中には中上流階級の出身者が多かった)のだが、彼らの少なからぬ部分は革命後の権力闘争に巻き込まれ、「人民の敵」として革命後迫害されたりした。また、生産手段の共有化を図ったとしても、結局は国家なり権力なりがそれを管理し、支配しなければならないことは、官僚支配に落ち込んで行く陥穽でもあった。
社会主義者は唯物史観によって、社会は根本的に経済的要因で動くと考える(よって、戦争の発生の原因も当事者間の錯誤や読み違い、支配欲や名誉欲や敵愾心にもとづく対立は本質ではなく、金融資本家の利益追求に原因であるものと考える)が、唯物史観の批判者は、これを文化などを無視した思想と解釈し、人間蔑視の思想であるとして宗教や思想の自由を迫害する遠因もこの見方によるものであるとすることが良くある。また、これは古い階級社会であるヨーロッパの知識人であったマルクスの無自覚な大衆蔑視と無関係ではないともする。
また、実際の資本主義国は労資協調による修正資本主義や、社会民主主義の参画により市場経済を前提にしながらも平等な生活の実現を謳う混合経済体制へ発展し(この点から、社会民主主義者達は、自らを社会主義の本流と位置づける向きもある)、産業構造の変化や技術の進歩などによって労働者達の生活にも相当の向上が見られた。この点においては、社会主義思想の伸張によって刺激を受けた「功」の側面を否定できない。
一方、マルクス主義を標榜する国家は民主政・工業化・資本主義経済が発展していなかった地域に多く成立した。ここに、いわゆるソ連型社会主義が生まれてくることになる。このようなソ連型社会主義は、社会主義を無謬かつ絶対の真理として推戴し、労働者を抑圧から解放するどころか、国民の人権・自由を抑圧し、ここに「社会主義」・「共産主義」イコール「抑圧的な政治体制」という現実ができてしまったのである。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- マックス・ウェーバー(浜島朗 訳)『社会主義』(講談社学術文庫)
- フリードヒリ・A・ハイエク(一谷藤一郎/一谷映理子 訳)『隷従への道』(東京創元社)
- フランシス・フクヤマ(渡部昇一 訳)『歴史の終わり』上下(三笠書房)
- ズビグネフ・ブレジンスキー(伊藤憲一 訳)『大いなる失敗』(飛鳥新社)
- ジョルジュ・ブールジャン、ピエール・ランベール(船越章・富永利彦 訳)『社会主義』(『文庫クセジュ』)、白水社、1953年10月(Georges Bourgin, Pierre Rimbert, Le Socialisme, "Que Sais-Je? 387", Presse Universitaires de France, 1949.)
- G・リヒトハイム(庄司興吉訳)『社会主義小史』、みすず書房、1979年6月(George Lichtheim, A Short History of Socialism, Praeger, 1970.)
- 小泉信三『共産主義批判の常識』(新潮社/講談社学術文庫)
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