アウグスト・ベーベル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アウグスト・ベーベル(August Bebel, 1840年2月22日 – 1913年3月18日)はドイツの社会主義者。ドイツ社会民主党(SPD)の創設者の一人。
1840年2月22日、ケルン近郊のドイツ Deutz で生まれる。1853年から徒弟工となる。 1860年、ライプチヒに移り、ライプチヒ労働者教育協会に入り、理論的指導者となる。労働運動の中でヴィルヘルム・リープクネヒトと出会い、1867年にザクセン人民党を、1869年には社会民主労働者党(SDAP)(アイゼナハ派)を創設した。1870年、普仏戦争の最中、反戦運動を行ない、大逆罪・不敬罪によりヴィルヘルム・リープクネヒトとともに逮捕、禁固刑に服した。
1875年、全ドイツ労働者協会(ADAV)(ラサール派)と合併し、ドイツ社会民主労働党(SAPD)を結成(ゴータ大会)。1890年、ハレ党大会でドイツ社会民主党に改名。1891年、フリードリヒ・エンゲルス、カール・カウツキーらとともにエルフルト綱領の確立に尽力。1890年代末、党内で修正主義論争が起こるが、1903年のドレスデン党大会で、ベーベル、カール・カウツキーらのいわゆるマルクス主義中央派が主導権を確立。
1893年から死に至るまでドイツ社会民主党(SPD)の党幹部会議長を務め、帝国議会の議員も務めた。また、第二インターナショナルにおいても指導的役割を果たした。