ザ・トップテン
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ザ・トップテンは、1981年から1986年まで、日本テレビ系列で放送された、ベストテン形式の歌謡番組である。
1981年4月6日放送開始。月曜20:00 - 20:54枠。原則として公開生放送(東京・渋谷公会堂)。司会は堺正章と榊原郁恵(当時両者ともホリプロダクション(現・ホリプロ)所属)が担当。前番組の「NTV紅白歌のベストテン」の公開放送スタイルに、当時人気の高かったTBSの「ザ・ベストテン」をミックスしたような番組構成であった。
目次 |
[編集] ザ・ベストテンとの相違点
この番組は「ザ・ベストテン」とタイトル、中身も良く似ていたのだが、それぞれ異なるところがある。
ザ・ベストテン | ザ・トップテン | |
---|---|---|
歌手の登場 | ミラーゲート(回転扉) | エレベーター(末期は自動ドア風?) |
ランキング表示 | フラップ(回転式ボード) | コンピューター表示 |
初登場の儀式 | サインを記帳 | 記念撮影 |
歌詞表示 | なし→初登場曲→全曲に表示 | なし |
11~20位の紹介 | 映像による紹介 | コンピューター表示(名称:「もうすぐトップテン」) |
注目曲の紹介 | 今週のスポットライト | 話題曲コーナー |
- 「トップテン」に初登場した歌手は必ず記念写真を撮影する。撮影した写真は会場のセットに掲示された。
- また、当日会場に来られないアーティストが、各地から中継で登場することもあった。中継が度々あるのは「ベストテン」と同様。「トップテン」の中継には、当時まだかけ出しだった小堺一機がレポーターとして出演していた。
- 「トップテン」では「ベストテン」のように上半期ランキングは発表されなかったが、代わりに4月~翌年3月の年度間ランキングを発表していた。
- 曲のイントロ部分で視聴者からのはがき紹介や、ゲストの小話をするベストテンと異なり、トップテンではイントロにナレーションをかぶせない配慮がなされていた。
- ここまで挙げた以外で、唯一の共通点は、メインの提供スポンサーが花王石鹸(現・花王)だったことか。ちなみに「トップテン」の場合は、毎回番組の最後に花王ヘアケアシリーズ(エッセンシャルシャンプー、トリートメントなど)の視聴者プレゼントがあった。
[編集] いろいろ考察
- ランキング発表時に画面にコンピュータ表示されるサルの顔の表情によって順位変動が示される(上昇=笑顔。変わらず=普通。下降=困った顔,但し1位をキープした場合は笑顔)。サルが使われたのは、堺が日テレ系ドラマ『西遊記』で孫悟空を演じていたため。
- 堺は榊原の事を「トントン」と終始呼び、「じゃあトントン次のランキングに・・」という会話だった。
- 第4位までを歌い終えた後、合間のランク圏外の11 - 20位を紹介するコーナーには、東京・麹町にあった日テレHスタジオに「エレクトリックおじさん」として、当時局アナだった徳光和夫がスタンバイしていた。1982年秋より「エレクトリックお兄さん」こと小倉淳アナにバトンタッチされる(小倉結婚後は「エレクトリックご主人」に改称)。
- ランキングの基準はレコード部門・有線部門・ネット局部門・リクエスト部門の4部門と基本的には「ベストテン」と変わらないが、順位変動が激しかったり、「ベストテン」よりも比較的ランクインしやすかった。
- オープニング、エンディングの各タイトルバックにそれぞれ、ザ・バーズが『TOP10』の人文字を作り盛り上げるシーンがあった。
- 『トップテン』は公開生放送であるため、会場には毎回、修学旅行の中学生や、高校生たちの姿がよく紹介されていた(この紹介コーナーは前番組の『NTV紅白歌のベストテン』より継承された)。
- 1985年10月7日の放送までは歌手が登場する際にエレベーターが使用されていたが、翌週14日の放送から自動ドア形式のものに変更された。恐らくこの頃からおニャン子クラブや、バンド系のアーティストのランクインが増えてきたことから、それに配慮したものだと思われる。ちなみにエレベーターは1985年4月頃に一度リニューアルされている。
- 渋谷公会堂が他の興行やメンテナンスのため使用できないとき、日テレGスタジオに場を移して生放送された。
- 堺が出演できないとき、高島忠夫や徳光和夫などがピンチヒッターで司会を務めたことがある。
- 大山のぶ代が出演し、他局のアニメであるにもかかわらず『ドラえもん』のエンディングテーマ「まる顔のうた」を注目曲コーナーで歌ったことがある。
- 西田敏行は「もしもピアノが弾けたなら」で初登場したが、「写真映りが気に入らないから」と3回撮影し直した。ちなみに、撮影の際の掛詞は「(堺)親子で」「(榊原)ブッ!」であった。 余談だが、その「親子でブッ!」の掛声は一時期、流行になり、子供達が真似をしていた。
- この番組の1位最高連続記録は1981年、寺尾聰「ルビーの指環」の10週連続1位。なお、同曲は「ベストテン」でも1位最高連続記録(12週)を打ち立てている。
- 第1回の1位は寺尾聰「ルビーの指環」、最終回の1位は中森明菜の「DESIRE」だった。
- 最高視聴率は1982年5月17日の28.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
- 番組は1986年4月7日に「歌のトップテン」に引き継がれるまで5年間続いた。
- 年間トップテンの集計方法は毎週出されている100位まで(ベストテンは70位まで)のデーターを曲別に集計し、1年間の総合得点によって決定される。
[編集] 年間トップテン1位獲得曲
年度 | 曲名 | 歌手名 |
1981年(昭和56年) | ルビーの指環 | 寺尾聰 |
1982年(昭和57年) | 北酒場 | 細川たかし |
1983年(昭和58年) | 矢切の渡し | 細川たかし |
1984年(昭和59年) | 長良川艶歌 | 五木ひろし |
1985年(昭和60年) | 悲しみにさよなら | 安全地帯 |
[編集] トップテン入りしながらも一度も出演しなかった歌手
- 矢野顕子 「春先小紅」(1981年)
- 松山千春 「長い夜」(1981年)
- 矢沢永吉 「抱かれたい、もう一度」(1981年)(ただし歌のトップテンには出演)
- 松任谷由実 「守ってあげたい」(1981年)
- 中島みゆき 「悪女」(1981年)
- オフコース 「YES-YES-YES」(1982年)
- 稲垣潤一 「ドラマティック・レイン」(1983年)
- EPO 「う、ふ、ふ、ふ」(1983年)
- 小林麻美 「雨音はショパンの調べ」(1984年)
- 一世風靡セピア 「前略、道の上より」(1984年)
- 井上陽水 「いっそセレナーデ」(1984年)(ただし紅白歌のベストテンには出演)
- 大沢誉志幸 「そして僕は途方に暮れる」(1985年)
- 松任谷由実&小田和正&財津和夫 「今だから」(1985年)
[編集] ハプニング・事件事故
1983年3月28日、番組に直接関係していることではないが、沖縄から生中継される予定だった松田聖子が、番組開始直前のコンサート会場で暴行を受け、中継ができなくなるという事件がおきた。この沖縄コンサートの事件の模様は日本テレビが放送用に収録している最中に起き、テレビニュースなどで何回も放送がされた。奇しくもこの日はトップテン自体が「八元生中継」という非常に生中継が多い日というのを目玉にしていた中で起きたもので、番組冒頭では司会者の2人にまだ事件のことが伝わっておらず、淡々と中継説明をするに終始していた。
1984年5月28日、堀ちえみの「稲妻パラダイス」が10位にランクイン。右足を上げる振り付けがあり、その際に右足のヒールが脱げてしまった。スタッフがヒールを取りいく間、堀は右足のみ裸足で歌った。この様子はこの年のトップテンスペシャルでも取り上げられた。
1984年8月6日、石川優子とチャゲの「ふたりの愛ランド」がランクイン。なぜかセットに本物のペンギンが。おどけて踊りながら歌っていたチャゲは、ドライアイスで足を滑らせ転倒、ペンギンに噛まれた(間奏で石川が「チャゲ大丈夫?!」と叫んでいる)。ちなみに、その時のペンギンは寒いところが苦手なペンギンだったらしい。
1984年10月22日、中森明菜「十戒」が5位にランクイン。エレベーターで会場に明菜が登場と同時に、近藤真彦のファンと思われる女性から「帰れ」コールを喰らわさたことがあった。司会者の堺と榊原、それと明菜自身は何事もないような冷静な態度でいた。
1985年3月11日、近藤真彦の「ヨイショッ!」が2位にランクイン。近藤は会場に登場する際に誤ってエレベーターの降りる位置を間違え、中間の柱の部分に立ち、司会者の堺と榊原は呆然としていた。
1985年8月12日、生放送中に日航機が消息を絶った(日本航空123便墜落事故)というニュース速報が飛び込み、番組が中断した。この速報を伝えたのは、当時の日テレアナウンサー・小林完吾である。
[編集] 番組スポンサー
[編集] 放映ネット局
- 日本テレビ
- 札幌テレビ
- 青森放送
- テレビ岩手
- ミヤギテレビ
- 秋田放送
- 山形放送
- 福島中央テレビ
- テレビ新潟
- テレビ信州
- 山梨放送
- 静岡第一テレビ
- 北日本放送
- 福井放送
- 中京テレビ
- よみうりテレビ
- 日本海テレビ
- 広島テレビ
- 山口放送
- 四国放送
- 西日本放送
- 南海放送
- 高知放送
- 福岡放送
- テレビ長崎(1981年10月ネット開始)
- くまもと県民テレビ(1982年4月開局から)
- テレビ大分
- テレビ宮崎
- 鹿児島テレビ(1982年10月ネット開始)
- 沖縄テレビ(1983年10月ネット開始、週末に遅れネット)
[編集] 関連項目
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日本テレビ トップテンシリーズ | ||
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