NTV紅白歌のベストテン
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NTV紅白歌のベストテン(エヌティーヴィーこうはくうたのベストテン)は、1969年から1981年まで日本テレビで放送された歌謡番組。
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[編集] 番組概要
1969年10月6日放送開始。毎週月曜20:00~20:54放送。「NHK紅白歌合戦」を毎週お茶の間に、という発想から誕生した、当時としては異色とも言える音楽番組だった。また、番組のタイトルは、当時TBSで放送されていた「TBS歌のグランプリ」を意識したものと思われるらしい。放送形式は原則として公開生放送(東京・渋谷公会堂)。おそらくこの番組は、クロスネット局で月曜20時に日本テレビが選択される原因となった番組と思われる。本家「紅白」同様、紅組、白組に分かれて対決を行う。司会者は白組、紅組それぞれのキャプテンを務める形式。番組にオープニングテーマ曲(エンディングでも使われていた)があるが、いかにも緊迫感に欠ける歌詞であった。(歌詞についてはノート参照) ただしかなり破天荒な歌い方をされていた。
白組のキャプテンは堺正章が番組終了まで務めた。紅組キャプテンについては最初は水前寺清子が勤めていたが、1970年にスタートした「ありがとう」(TBS)への出演や地方公演、TV番組出演の関係でスケジュール調整が困難となり、程なく降板。その後暫く決まったキャプテンはおかれず、毎週出場歌手から1人がキャプテンを務めていた。その後は、今陽子、岡崎友紀らが司会を担当した。
徳光和夫が進行役(本家「紅白」でいえば総合司会)、福留功男が実況中継、小林完吾が「ウソ発見器」ナレーターをそれぞれ担当していた。また、初期には作曲家・山本直純が審査判定役として出演していた。これは、山本が前述のオープニングテーマの作曲を担当したためと思われる。
主な出演歌手はアイドルが中心となり、演歌がそれに続いた。フォーク、ロック、ニューミュージックは稀であった。白組では新御三家の野口五郎、郷ひろみ、西城秀樹が毎週交代で出演し、演歌では五木ひろしが常連であった。紅組はこれに対抗して花の中三トリオの森昌子、桜田淳子、山口百恵が出演し、演歌では八代亜紀が常連となっていた。和田アキ子の出演も意外と多い。
本家「紅白」同様、紅白両軍の応援合戦もあり、ダンスやバンド演奏、物真似芸などその演目は多岐に渡った。さらに出演歌手の本性を暴く『ウソ発見器』や、紅組VS白組で、他の歌手に扮装してのものまねをする対決なども見所であった。
また一時期中学校・高等学校の修学旅行の定番コースになったりもした。その際はオープニングでキャプテンが観覧に来た学校を紹介し、その学校の生徒がリアクションをとるのが定番だった(これについては後番組の「ザ・トップテン」でも行っていた)。
ただ、既に同じ月曜日に人気歌謡番組「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)があり、当代の人気歌手や大物は「夜ヒット」の出演を優先させることが多かった事や、1973年の「ナベプロ事件」(後述)のために、出場歌手の調達に相当苦労しており、このことについては後年、堺正章は「出演者ががら空きになってしまい、3曲歌ったことも時折あった」と回顧している。
番組の最後で発表される得点発表は系列局ごとに行われ、支持する系列局が多いチームが優勝となり、くす玉が割られて、紙吹雪と風船が降る。
キャプテンとして約12年出演した堺と最後の1年間紅組キャプテンを担当した榊原は、そのまま後番組の「ザ・トップテン」の司会として残ることになる。
それから13年後の1994年3月31日。「木曜スペシャル」の最終回で「今夜復活!!紅白歌のベストテン」と銘打ち、一夜限りの復活を遂げた。ちなみにそのときの会場は渋谷公会堂ではなく後楽園ホールだった。
[編集] 歴代キャプテン
- 白組 堺正章(1969,10~1981,3)※堺が休みのときは親友の井上順が代理を務めていた。
- 紅組 水前寺清子(1969,10~1970,3)→週替り→倍賞美津子(1970~1971,3)→今陽子(1971,4~1974,2)→岡崎友紀(1974,1~1979,4)→大場久美子(1979,4~10)→榊原郁恵(1979,11~1981,3)
[編集] 渡辺プロ事件
1973年、番組史を揺るがす一つの事件が起きた。この番組の同時間帯に渡辺プロダクションがNETテレビ(現・テレビ朝日)とタッグを組み、新規に「スター・オン・ステージ あなたならOK」と言う裏番組を水面下で計画し、それをぶつけてきたのだ。これを知った日テレの井原高忠は渡辺プロと話し合いをしたが、渡辺プロ側から『それじゃ、お宅の歌番組の時間帯をずらせば良いじゃないか』と言われた上に、渡辺プロは日テレサイドに『放送時間をずらさないのであれば今後、ベストテンにうちのタレントは出演しない』と通告してくる。…すなわち渡辺プロがクーデターを起こして来たのだ。苦しい立場の日テレ側は「ベストテン」の時間を移動するか、渡辺プロに頭を下げるか、この挑戦を受けて立つしかなかった。しかし井原はこれに屈することなどなく、真っ向からこの挑戦を受けた。
1970年代末期に入り、渡辺プロ制作のバラエティー「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」(テレビ朝日)や「ナショナル劇場」(TBSテレビ、「水戸黄門」「大岡越前」などの時代劇シリーズ)などに視聴率を食われ、また当時各局で歌番組が裏番組で存在していたこともあり、1981年3月23日、11年半に亘る放送を終了した。
なお、この間も井原が関わっていない番組(「TVジョッキー」など)は、引き続き渡辺プロのタレントが出演していた。
[編集] 主なスタッフ
- プロデューサー 井原高忠、吉岡正敏ほか
[編集] 放映ネット局
- 日本テレビ
- 札幌テレビ放送
- 青森放送
- テレビ岩手
- 宮城テレビ放送(1975年10月ネット開始)
- 秋田放送
- 山形放送
- 福島中央テレビ(1971年10月ネット開始)
- 北日本放送
- 福井放送
- テレビ信州(1980年10月開局から最後の半年間のみ)
- 山梨放送
- 静岡県民放送(現・静岡朝日テレビ、1978年7月開局から1年間限定)→静岡第一テレビ(1979年7月開局から)
- 名古屋テレビ放送→中京テレビ放送(1973年4月~)
- 読売テレビ放送
- 日本海テレビジョン放送
- 広島テレビ放送(1975年10月ネット開始。テレビ新広島開局でフジテレビ系の番組が同局に移動したため)
- 山口放送
- 四国放送
- 西日本放送
- 南海放送
- 高知放送
- 福岡放送
- テレビ大分(ネット開始時期不明)
- テレビ宮崎(ネット開始時期不明)
[編集] 関連項目
日本テレビ 月曜20時枠 | ||
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日本テレビ トップテンシリーズ | ||
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