オレンジ・レンジ
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ORANGE RANGE (オレンジ レンジ) |
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出身地 | 日本、沖縄県 |
活動期間 | 2001~ |
ジャンル | J-ROCK J-POP |
レーベル | SPICE RECORDS (2002) gr8! records (2003~) |
メンバー | HIROKI Mid Vox. YAMATO High Vox. NAOTO G. YOH B. RYO Low Vox. |
旧メンバー | KATCHAN Dr. (2001~2005) |
ORANGE RANGE(オレンジレンジ)は、日本の5人組ミクスチャーバンドである。略称はレンジ。所属プロダクションはSpice Music、レコード会社はgr8! records(SME)。スターダストプロモーションと業務提携している。音楽プロデューサーはシライシ紗トリ。
「ORANGE RANGE」のユニット名は、SMEの登録商標である(商標登録番号第4803814号)。
2006年12月6日に1年2ヶ月ぶりのアルバム『ORANGE RANGE』を発売。
2007年3月25日よりアリーナツアー「LIVE TOUR 007 “タイトル未定”」の開催が決定。
目次 |
[編集] メンバー
- HIROKI(ヒロキ、1983年6月29日 -)Mid Vox(中音ボーカル)
- 本名:外間弘樹(ほかまひろき)。沖縄県出身。A型。沖縄県立北谷高等学校卒。
- 音楽は部活感覚でやっているらしい。
- 買ったCDは3枚と、あまり音楽に間して詳しくない。楽譜はNAOTOに教えてもらった、Aマイナーしか知らない。
- 虫が大嫌いで、自分のタンスにゴキブリが出たときに学校を休んだことがある。
- 眉間にあるホクロをメジャーデビューをキッカケにとろうと考えていたが、結局しなかった。現在はトレードマークとなっている。
- ミュージックステーションスーパーライブ05ではホクロが銀色に輝いていた。
- ライブでは三線やギターも披露する。『SAYONARA』でMステ出演時には、歌はもちろん、アコギもひいていた。
- HEY!HEY!HEY!では浜田雅功にツッコミを入れたり、ラジオでは下ネタを披露したりもするが、実際は根暗であるようだ。
- ツアー中のオフ時に、その地元の城を訪れるのが趣味。
- 自身が編み出した独自のストレッチがある。
- 東北の道路を車で走っていた時、「熊出没注意」の看板を見て、熊見たさに4時間程窓の外を睨んでいたことがある(が、結局見れなかったらしい)。
- YAMATO(ヤマト、1984年1月14日 -)High Vox(高音ボーカル)
- 本名:我如古大和(がねこやまと)。沖縄県出身。A型。沖縄県立中部商業高等学校卒。
- 自身曰く「生まれた子供も宝だけど、年上も宝」
- 中学時代はバスケットボール部の副主将を務めていた。RYOはそのときの後輩である。
- 通称・宇宙人など。幼少時のニックネームは「ピッコロ」だったという。
- 趣味は映画鑑賞、バスケットボール、野球。野球においては、ライヴ前の会場でもキャッチボールをするほどである。
- 独特の顔つきから、出演番組ではよくイジられる。ミュージックステーションでは、タモリからは毎回宇宙人と呼ばれ、「僕、星へ帰ります」などと言っている。HEY!HEY!HEY!では松本人志から「羽根の取れたトンボ」など散々なあだ名を付けられた。また、その顔つきがビートルズのリンゴ・スターにも似ているといわれる。
- バスケ仲間でカラオケに行ってノリが良いと言ってリーダーのNAOTOが誘ったのがきっかけで加入。
- 最近発売したCDには、「Jesus,VOX」(『チャンピオーネ』)「最近白髪が生VOX」(『UN ROCK STAR』)「ヒッピーHAPPYファルセットVOX」(『SAYONARA』)「HAPPY MC」(『ORANGE RANGE』)等とも表記されている。
- ミュージシャンと思ったことがなく、普通の人だと思っている。
- NAOTO(ナオト、1983年5月8日 -)Guitar、Chorus、Composer、Programing、Other Instruments(リーダー)
- 本名:廣山直人(ひろやまなおと)。沖縄県出身。沖縄コザ出身、そして東京に作曲用の部屋がある。A型。沖縄県立北谷高等学校卒。元バレーボール部部長。
- 実兄二人(双子)はテクノグループ「RYUKYUDISKO」のメンバーである。
- 美容師の免許を持っている。
- 両親も美容師の免許を持っていて、美容室をひらいている時もあった。
- YAMATO曰く、「こいつが人におごってるところなんて見たことが無い」といっているほどのケチである。YAMATOがDVDを買いに行くと必ずNAOTOが付いて行き、YAMATOに「この映画がいいんじゃない」と言って買わせた。この説からケチ説が浮上した。しかし最近は自分で「ちゃんとしよう」と思い、自分でDVDを買うようになった。それと同時に服もおしゃれになってきた。
- NAOTOがリーダーなのは「ジャンケンに負けたから」。
- 母親は書道教室をひらいていた。しかしNAOTO自身は字は上手ではない。
- 美容室に来たお客さんも「オレンジレンジのメンバーだ」と言われている。
- 一番最初にバンドを組んだときはベースかドラムがやりたかった(親戚のお古があったので、金を使わずにすむから)が、ジャンケンに負けてギターとなった。その後、本格的に。ギターを始めたきっかけは、元Spiral LifeのAIR(車谷浩司)。
- ソイソース、ペチュニアロックスとしても活動中。
- YOH(ヨウ、1983年12月11日 -)Bass
- 本名:宮森洋(みやもりよう)。沖縄県出身。O型。沖縄県立北谷高等学校卒。
- 相手のミスは許すが、自分のミスは許さない。
- もともとXのhideに憧れてギターをやりたかったが、親に「アコギからやれ」と言われ挑戦してみるも、弦が押さえきれず、挫折。
- かなり痩せているため、メンバーによく弄られる。RYOは実の弟で、兄弟で低音一家としても活動中。
- バンドに誘われるまではベースには触ったことがなく、「空いていたのがたまたまベースだった」からベースとなった。ボーカルも空いていたが、やりたくなかったらしい。
- テレビなどではほとんど喋ったことが無い。声は『上海ハニー』の間奏意外ではほとんど聞くことができない。インタビューなどではHIROKIのコメントがYOHのコメントとして載っていることもあるらしい(HIROKI談)。
- 尊敬するベーシストはIKÜZÖNE(Dragon Ash)、JIRO(GLAY)、武史(山嵐)。
- RYO(リョウ、1985年10月1日 -)Low Vox(低音ボーカル)
- 本名:宮森涼(みやもりりょう)。沖縄県出身。O型。沖縄県立北谷高等学校卒。
- サザンオールスターズ|サザンオールスターズとMr.Childrenにあこがれている。特にサザンオールスターズ|サザンオールスターズを越えたいとも思っている。
- YOHは実の兄で、兄弟で低音一家としても活動中。:一番年下だが、テレビなどでは一番積極的に話す。
- 髭がトレードマーク。本人曰く、「小学5年のときにひげが生え始めた。」
- 好きな芸能人は中島美嘉。楽屋までサインをもらいに行く程。
- 最近ずっと繋がっていた髭ともみあげが分裂したらしい。
[編集] 元メンバー
- KATCHAN(カッチャン、1983年6月19日 -)Drums
- 本名:北尾一人(きたおかずひと)。大阪生まれの岐阜育ち。A型。沖縄県立北谷高等学校卒。
- X JAPANのYOSHIKIを見て衝撃を受け、ドラムを始めた。
- 2005年7月31日をもって脱退。脱退に関する理由は音楽性の違いや在籍中に腱鞘炎でドラムを続けられなくなったのが大きいと言われているが、真相は不明。
[編集] サポートメンバー
[編集] 概要
[編集] 結成からメンバー定着~インディーズ時代
中学校の卒業パーティーにおいてNAOTOとKATCHANがバンドを組み演奏したのがその始まりだといわれている。(このとき演奏した曲はGLAYの「BELOVED」等だった。)その後他のメンバーは進学問題で辞めていくが、同じ高校にいたYOHを誘い、あいていたベースとして加入。練習をよく見に来ていたHIROKIをボーカルに誘い、バンドの形となる。その後、山嵐のコピーをする際にボーカルが一人では足りないので、YOHの弟のRYOがラップをしているということで加入。最終的にはYAMATOが200円を払って加入し現在のメンバーとなった。なお、「ORANGE RANGE」というバンド名にしたのはNAOTOの母親の命令。「名前に色があるとGLAYやTHE YELLOW MONKEY、THE BLUE HEARTSみたいに売れる」と思い、当時の母親のラッキーカラーであったオレンジを使った。
現在のメンバーがそろう頃から、沖縄にある米軍のライブハウスやストリートライブなどでライブを重ねてゆく。GLAY、山嵐、Mr.Children、LUNA SEAなどのコピーをしていたが、YAMATOが加入した頃からオリジナルの曲を作り始める。アルバム『オレンジボール』、シングル『ミチシルベ/ミッドナイトゲージ』を発売し、ライブを積極的に行うなどのプロモーションでファンを増やし、インディーズのライブとしては異例の700人を動員する。2003年6月にメジャーデビューする。
[編集] メジャーデビュー~現在
シングル『キリキリマイ』でメジャーデビュー。2ndシングル『上海ハニー』でブレイク。その後シングル15作、オリジナルアルバム4作を発表。そのうちシングル9作、アルバム2作でオリコン1位を獲得。特に『花』のロングヒットや『musiQ』の爆発的大ヒット(21世紀のオリジナルアルバムとしては記録的ヒット)など日本を代表するバンドへと成長する。また、『上海ハニー』『ロコローション』などのヒットから「夏のバンド」というイメージが定着している。沖縄音楽を取り入れた楽曲も多い。ライブでの盛り上げ方にも定評がある。
2005年7月31日にドラムのKATCHANが脱退。以降はサポートメンバーを加えて活動していくことになる。
デビュー初期はヒップホップを意識したミクスチャーロックが多かったが、NAOTOの作るバリエーション豊かな楽曲により、徐々にポップかつロックな音楽に変化していく。特にアルバムに関しては「レコーディングが仕事になると嫌だから曲数は決めない」などかなり自由な構成となっている。アルバムごとに異なった印象をもたれることが多い。3rdアルバムからは電子音を多用するようになってきた。メンバーは仕事のとき以外は地元沖縄に帰郷していて、レコーディングなども時間に余裕があるときは沖縄でこなす。2006年には2年ぶりの紅白歌合戦の出場も決定。2007年は、春に全国4ヶ所8公演のアリーナツアーが開催される。
[編集] 盗作疑惑
シングル『ロコローション』の発売後にクレジットの変更、雑誌『bounce』誌内における彼らの「合言葉はパクろうぜ!」という発言はネット上で話題になった。詳しくはロコローション#盗作問題を参照。
[編集] 略歴
- 1999年
- 3月、中学校の卒業パーティーにおいてNAOTOとKATCHANがバンドで演奏。
- YOH、HIROKI、RYO、YAMATOの順に加入していく。
- 2001年
- 7月、6人揃っての初ライブ。
- 2002年
- 2004年
- 1月、初のツアー「LIVE TOUR 004~タカシイッパイイッパイ!?~」で福岡、大阪、東京を回る。
- 2月25日、シングル『ミチシルベ~a road home~』を発売。初動売り上げ9.1万枚で、3月8日付けのオリコン週間シングルチャートで初の1位を獲得。ここから『チャンピオーネ』まで9作連続首位獲得となる。c/wには『ZUNG ZUNG FUNKY MUSIC』を収録。
- 3月、RYOが高校を、NAOTOが専門学校をそれぞれ卒業。
- 6月9日、シングル『ロコローション』発売。オリコン週間チャート2週連続1位とヒットし、「夏のバンド」のイメージが定着する。
- 6月13日~7月27日、「LIVE TOUR 004」としてワンマン形式の「~ラ・ワンマンリサイタル~」と対バン形式の「~三十路でゴメン DEAD or LIVE~」が同時進行するという異例のツアーを行う。
- 7月28日、ビデオクリップとメイキング映像、「~タカシイッパイイッパイ!?~」のライブ映像、オフショットなどを収録した初のDVD『ヴィデヲ・ラ・コンタクト』を発売。
- 8月25日、シングル『チェスト』を10万枚限定で発売。
- 10月20日、シングル『花』を発売。この年唯一のミリオンセラーとなるなど、大ヒットとなる。
- 12月1日、アルバム『musiQ』を発売。この年ヒットしたシングル4曲や、携帯電話のCMに使われた『以心電信』などを収録、累計売上げが280万枚を超える大ヒットとなり、近年にないセールスを記録。
- 12月31日、沖縄コザの年越しイベントに参加、中継でNHK紅白歌合戦に初出演、『ロコローション』を披露する。
- 2005年
- 2月10日~4月9日、全国ツアー「LIVE TOUR 005 “musiQ” supported by au by KDDI」を開催。
- 2月23日、シングル『*~アスタリスク~』を発売。初動30万枚以上を売り上げる。
- 4月27日、DVD『ヴィデヲ・DE・リサイタル』を発売。オリコンDVDチャートで1位獲得。
- 5月25日、シングル『ラヴ・パレード』を発売。オリコンチャート2週連続1位獲得。
- 6月8日、シングル『お願い!セニョリータ』を発売。『ラヴ・パレード』と合わせて3週連続1位獲得。
- 6月3日に出演した「ミュージックステーション」の生放送終了後、KATCHANが左手に痛みを覚え、腱鞘炎と診断され活動休止。
- 7月31日、KATCHANが音楽性の違いにより脱退。オフィシャルサイトにKATCHAN自身のコメントとメッセージが載せられる。この日より数日間、オフィシャルHPにファンが殺到し、サーバーがパンク寸前だったといわれる。
- 8月24日、KATCHAN脱退後初のシングル『キズナ』を発売。オリコンチャート1位獲得。
- 10月12日、アルバム『ИATURAL』を発売。
- 10月29日~12月14日、アリーナツアー「LIVE TOUR 005 “ИATURAL” supported by MATCH」を開催。
- 12月21日、初のライブDVD『LIVE musiQ ~from LIVE TOUR 005“musiQ”at MAKUHARI MESSE 2005.04.01~』を発売。
- 12月31日、沖縄でのカウントダウンライブに参加。
- 2月10日~4月9日、全国ツアー「LIVE TOUR 005 “musiQ” supported by au by KDDI」を開催。
- 2006年
- 4月12日、初のリミックスアルバム『Squeezed』を発売。
- 5月10日、9ヶ月ぶりのシングル『チャンピオーネ』を発売。NHKの「2006 FIFAワールドカップ」テーマソングとして話題となる。c/wには『Walk on』を収録。
- 8月5日、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」に初出演。
- 8月30日、シングル『UN ROCK STAR』を10万枚限定で発売。
- 8月31日~12月13日、全国ツアー「LIVE TOUR 006 “FANTAZICAL” supported by T&C Surf Designs」を開催。
- 12月31日、第57回NHK紅白歌合戦に通算2回目の出場。
- 2007年
[編集] 代表曲
『上海ハニー』『ロコローション』『花』『以心電信』『*~アスタリスク~』『お願い!セニョリータ』『チャンピオーネ』等。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
インディーズ
- ミチシルベ/ミッドナイトゲージ(2002年8月25日、再発版:2004年12月1日)
メジャー
- キリキリマイ(2003年6月4日、再発版:2004年6月21日)
- 上海ハニー(2003年7月16日、再発版:2004年6月21日)
- ビバ★ロック(2003年10月22日、再発版:2004年6月21日)
- 落陽(2003年11月27日、初回盤はDVD付。)
- ミチシルベ~a road home~(2004年2月25日)
- ロコローション(2004年6月9日発売)
- チェスト(2004年8月25日、10万枚限定生産。)
- 花(2004年10月20日)
- *~アスタリスク~(2005年2月23日)
- ラヴ・パレード(2005年5月25日)
- お願い!セニョリータ(2005年6月8日)
- キズナ(2005年8月24日)
- チャンピオーネ(2006年5月10日)
- UN ROCK STAR(2006年8月30日、10万枚限定生産。)
- SAYONARA(2006年10月25日)
[編集] アルバム
インディーズ
メジャー(オリジナルアルバム)
- 1st CONTACT(2003年12月17日)
- musiQ(2004年12月1日)
- ИATURAL(2005年10月12日)
- ORANGE RANGE(2006年12月6日、初回盤はDVD付。)
メジャー(リミックスアルバム)
- Squeezed(2006年4月12日)
[編集] 参加作品
- The songs for DEATH NOTE the mobie~the Last name TRIBUTE~(2006年12月20日)
- M-3『チェスト』収録。
[編集] DVD
- ヴィデヲ・ラ・コンタクト(2004年7月28日)
- ヴィデヲ・DE・リサイタル(2005年4月27日)
- LIVE musiQ ~from LIVE TOUR 005“musiQ”at MAKUHARI MESSE 2005.04.01~(2005年12月21日)
- オフショットなどを収録。『ZUNG ZUNG FUNKY MUSIC』のあとにメンバー紹介の歌が収録されている。
- LIVE ИATURAL ~from LIVE TOUR 005“ИATURAL”at YOKOHAMA ARENA 2005.12.13~(2006年9月20日)
- オフショット、インタビューなど収録。
[編集] 書籍
[編集] 出演番組
[編集] ラジオ
- ORANGE RANGE ラジオ~コンタクト NAOTOとHIROKIのレギュラー番組。
[編集] 関連項目
- 伊禮麻乃(RYOが高校時代に結成したバンド「琉星」のボーカル)
- HIGH and MIGHTY COLOR(Spice Music所属のORANGE RANGEの後輩)
- HY(ストリート時代同じところでライブをしていた。)
- RYUKYUDISKO(NAOTOの兄)
- 出川哲朗(シングル『*~アスタリスク~』のカップリングでのロマンティックバージョンで朗読を担当していた。)
- ガゼット(デビュー当時、「V系界のORANGE RANGE」と言われていたことがある。)
- winter fall(L'Arc~en~Cielのシングル)
[編集] 外部リンク
この項では公式サイトのみ記述する。
ORANGE RANGE |
メンバー |
HIROKI - YAMATO - RYO - NAOTO - YOH |
旧メンバー |
KATCHAN |
シングル |
1.キリキリマイ(2003/06/04) - 2.上海ハニー(2003/07/16) - 3.ビバ★ロック(2003/10/22) - 4.落陽(2003/11/27) - 5.ミチシルベ~a road home~(2004/02/25) - 6.ロコローション(2004/06/09) - 7.チェスト(2004/08/25) - 8.花(2004/10/20) - 9.*~アスタリスク~(2005/02/23) - 10.ラヴ・パレード(2005/05/25) - 11.お願い!セニョリータ(2005/06/08) - 12.キズナ(2005/08/24) - 13.チャンピオーネ(2006/05/10) - 14.UN ROCK STAR(2006/08/30) - 15.SAYONARA(2006/10/25) |
オリジナルアルバム |
1.1st CONTACT(2003/12/17) - 2.musiQ(2004/12/01) - 3.ИATURAL(2005/10/12) - 4.ORANGE RANGE(2006/12/06) |
企画アルバム |
1.Squeezed(2006/04/12) |
DVD |
1.ヴィデヲ・ラ・コンタクト(2004/07/28) - 2.ヴィデヲ・DE・リサイタル(2005/04/27) - 3.LIVE musiQ(2005/12/21) - 4.LIVE ИATURAL(2006/09/20) |
インディーズ |
1.オレンジボール(2002/02/22・ミニアルバム) - 2.ミチシルベ/ミッドナイトゲージ(2002/08/25・シングル) |
その他の楽曲 |
以心電信 |
関連項目 |
低音一家 - ソイソース - ペチュニアロックス - ラジオ~コンタクト |
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