Thee michelle gun elephant
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thee michelle gun elephant (ミッシェル・ガン・エレファント)は、日本の男性4人組ロックバンド。通称「ミッシェル」、雑誌等では「TMGE」と書かれることもある。60年代、70年代のパンク・ロック、、パブロック、ハード・ロック、ガレージロックからの影響を濃く受けたシンプルな曲調と激しいサウンドが特徴。主にザ・フーやドクター・フィール・グットからの影響を受けた。2003年、解散。
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[編集] 概要
ボーカル・チバユウスケの残酷なまでに強烈ながなり声、印象的なリフや鋭いカッティング奏法を繰り出し曝すアベフトシのギター、バキバキと地割れが起こるようなウエノコウジのベース、一音一音が重く、破裂するほどのクハラカズユキのドラムが織り成す音は正統派ロックンロールの流れを汲むものであるが、それと共に叙情的なメロディとチバの散文詩的な歌詞がリスナーに新鮮な驚きと熱狂を持って受け入れられた。シルエットの細いモッズスーツを衣装とするスタイリッシュなビジュアル・イメージも人気の要因の1つである。
最強のライブバンドと言われ、ライブ活動に重点を置き、1回のツアーで全国40~60箇所のライブハウスやホールを回る。ライジング・サン・ロックフェスティバルやフジ・ロック・フェスティバルなどの著名な音楽フェスティバルにもメイン・アクトとして出演し、90年代後半の日本を代表するロックンロールバンドとなった。全盛期の彼らとBLANKEY JET CITYは90年代の本格的なロックファンの人気を二分していたと言われる。
バンド名の由来はチバの友人がダムドのアルバム『MACHINE GUN ETIQUETTE』の筆記体で書かれたアルバムタイトルを読み違えたもの。「Thee」はジー・ヘッドコーツ (THEE HEADCOATS) から取ったもの。「Thee」は省略して「ミッシェル・ガン・エレファント」と言うことが多い。チバユウスケ本人は「ザ・ミッシェル・ガン・エレファント」とも「ジー・ミッシェル・ガン・エレファント」とも言っている。チバはヘッドコーツのアルバムのライナーノーツを手掛けた事もある。
[編集] 来歴
1991年、明治学院大学のサークル「ソングライツ」(チバ)と「世界民族音楽研究会」(通称セミケン)(ウエノ、クハラ)にそれぞれ所属。学祭のチバのバンドのライブ(ちなみにこのときすでにバンド名はミッシェル・ガン・エレファント)を観て、クハラがチバに“おまえの後ろでたたかせてほしい”とお願いしてミッシェルでドラムを叩くようになる。その後、ミッシェルのベースが抜けるということで、クハラとバイト先もバンドも一緒に組んでいたウエノが加わる。インディーズとして下北沢を中心に活動を開始。激しいライブパフォーマンス、ボーカルのチバによる独特の詞世界で人気を博す。しかし、ギターが脱退。その後解散の危機を迎えるが、しばらくは3人でライブを行う。そこへアベフトシとの運命的な出会いとともにメジャーシーンに名乗りをあげ、1996年、日本コロムビアよりシングル『世界の終わり』にてメジャーデビュー。後に、この曲はファンの間で特別な時にのみ演奏されるという伝説が生まれた。1stアルバムは『カルト・グラス・スターズ』。同年には最高傑作としてその名を上げる者が多い2ndアルバム『ハイタイム』をリリースした。
一部のファンによりカルト的な人気を博していたが、精力的なライブ活動と作品リリースにより人気が上昇。シングル『ザ・バードメン』が、 『ぷらちなロンドンブーツ』のオープニングテーマとなりヒット、3rdアルバム『チキンゾンビーズ』により一躍その名を全国に知らしめた。3rdアルバム後にはフジロックフェスティバルにも出演し、他を寄せ付けない破竹の勢いを感じさせた。シングル『アウト・ブルーズ』『G.W.D.』は、そんな中で生まれた。
4thアルバム『ギヤ・ブルーズ』をリリース。このアルバムをひっさげて、彼らはホールクラスのオールスタンディングでのライブに乗り出した。このworld psycho blues tourでの、『スモーキン・ビリー』における「愛という憎悪」のホールを埋める大合唱はまさにロック史上、ヒストリカルな出来事かもしれない。また、日本で初めてアリーナクラスの会場でオールスタンディングライブを行なった。
スタイリッシュな彼らであったが、2000年に出た5thアルバム『カサノバ・スネイク』以降ロカ的なサウンドを好み、泥臭いロック色を濃くしていった。このあたりを境にファン層が入れ替わった可能性も高い。2001年5月には6thアルバム『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』の発売日に東京・代々木公園にてフリーライブ『TMGE YOYOGI RIOT』を開催した。朝から体育館前には長蛇の列ができるなど、雨の中2万人を集めた記録的なライブになった。休養後、2003年には7thアルバム『サブリナ・ヘブン』、ミニアルバム『サブリナ・ノーヘブン』を出すが、習熟期を迎えた印象が濃い。2003年10月、ラストシングル『エレクトリック・サーカス』発売、幕張メッセでのライブと同時に解散。そのビートあふれるサウンドは、解散後の今も日本のロックシーンに強く残っている。
解散後は、メンバーそれぞれが様々なバンドにて活躍中。
[編集] メンバー
- 解散後、ROSSOのボーカル、ギターとして活動している。2006年8月からThe Birthdayとして活動開始。神奈川県出身
- アベフトシ(ギター)
- 解散後、Radio Carolineのベースとして活動している。広島県出身
- 解散後、うつみようこ&YOKOLOCO BANDや、M.J.Qのドラムとして活動している。2006年からThe Birthdayとして活動開始。北海道出身
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
- 世界の終わり (1996.02.01)
- キャンディ・ハウス (1996.08.01)
- リリィ (1996.10.19)
- カルチャー (1997.05.01)
- ゲット・アップ・ルーシー (1997.08.01)
- バードメン (1997.10.21)
- VIBE ON! / あんたのどれいのままでいい (1998.01.07)ライブ会場限定販売
- G.W.D (1998.08.01)
- アウト・ブルーズ (1998.09.01)
- スモーキン・ビリー (1998.11.03)
- GT400 (2000.02.02)
- ベイビー・スターダスト (2000.09.27)
- 暴かれた世界 (2001.03.22)
- 太陽をつかんでしまった (2002.12.25)
- Girl Friend (2003.06.21)
- エレクトリック・サーカス (2003.10.11)
[編集] オリジナル・アルバム
- cult grass stars (1996.03.01)
- High Time (1996.11.01)
- Chiken Zombies (1997.11.01)
- ギヤ・ブルーズ (1998.11.25)
- カサノバ・スネイク (2000.03.01)
- ロデオ・タンデム・ビート・スペクター (2001.05.23)
- SABRINA HEAVEN (2003.03.05)
- SABRINA NO HEAVEN (2003.06.21)
[編集] その他のアルバム
- MAXIMUM! MAXIMUM! MAXIMUM! (1993.11.25)
- wonder style (インディーズ:1995.10.21 再発:1997.05.01)
- 7inch vinyl box (1999.01.30)
- RUMBLE (1999.08.06)
- TMGE106 (2000.12.13)
- CASANOVA SAID"LIVE OR DIE" (2000.12.13)
- THEE MICHELLE GUN ELEPHANT GRATEFUL TRIAD YEARS (2002.12.25)
- LAST HEAVEN'S BOOTLEG (2003.12.03)
[編集] ビデオ・DVD
- thee michelle gun elephant play maximum rockin' blues (1996.10.19)
- WORLD STEREO LYNCH (1997.08.01)
- FILM STARS REVENGE! (1998.05.01)
- WORLD PSYCHO BLUES (1999.05.01)
- FILM STARS NOT DEAD (2000.07.29)
- GOD JAZZ TIME (2002.03.01)
- BURNING MOTORS GO LAST HEAVEN (2003.12.03)
- WHO KILLED THE FILM STARS? (2004.01.21)
- a filmography of THEE MICHELLE GUN ELEPHANT (2004.01.21)
- THEE MICHELLE GUN ELEPHANT PLAY MAXIMUM ROCKIN' BLUES (2004.01.21)
[編集] 事件
[編集] Mステ事件
2003年6月27日に彼らが『ミュージックステーション』に出演したとき、この日共演したゲスト、t.A.T.u.(タトゥー)が生放送中に突然出演放棄してしまう事件が発生。すでに演奏を終えた彼らは急遽もう1曲を追加で演奏した(『ミッドナイト・クラクション・ベイビー』)。これはすぐにスタジオ生演奏ができるミュージシャンが彼等しかいなかったため。これは日本の音楽番組の「カラオケ口パク中心」という悪い部分を露呈させてしまう出来事でもあった。この音楽番組の出演を機に、NHK『トップランナー』にも出演した。もともと地上波テレビでの露出はあまり多い方ではなかったが、この一連の出来事により、ロックファン以外にも深く知られることとなったようである。
[編集] ペットボトル事件
1999年から2000年まで、インターネット上やライブハウスで何度も問題となった事件。
99年" WORLD GEAR BLUES TOUR " から、ライブが激しさを増したせいか、ライブ中に興奮した客が、持ち込んだペットボトルをステージに投げ入れる事件が、何度も発生した。それは徐々にエスカレートし、チバの胸に中身の入ったペットボトルが命中し、チバが倒れる、アベの演奏中に、手に濡れたタオルが投げつけられる、アベの手にペットボトルの水がかかるなど、ライブを中断せざるをえない危険な状況へと発展していった。MCなどで「物を投げ入れるな」とチバが言っても事態は収拾せず、とうとうあるライブでは、ペットボトルが何度も投げ入れられたことにより、チバがアンコール半ばで、1曲残したままステージを降り、メンバーも演奏中の曲が終わり次第ステージを降りてライブを終了させる、という事態となった。 ツアー中、チバの誕生日と重なった記念公演でもペットボトルは投げ込まれ、アンコールで登場したチバの第一声「物投げんじゃねぇ!ブッ殺すぞ!」であった。
この問題は、主に都市部を中心として起こっていたが、音楽雑誌や『爆音ワルツ』という番組で取り上げられたことにより、急速に知名度をあげ、皮肉にも全国へと広がることとなった。公式サイトのBBSでは、ファン同士の討論が行われ、ライブハウスの会場では、開場前にファン有志が呼びかける図などが多く見られたが、ペットボトルを投げ入れる者は後をたたず、"WORLD CASANOVA SNAKE TOUR"の途中、そしてその後のライブのほとんどで、「ライブハウス内にペットボトル持込禁止」というルールが出来上がることとなった。
なお現在も、この事件は全国のライブハウスに影響を残しており、スタンディングライブを主とするライブハウスや夏フェスなどでは、「ペットボトル持込禁止」というルールを掲げているライブハウスが少なくない。
[編集] 外部リンク
- rockin'blues.com - 公式サイト
- THEE MICHELLE GUN ELEPHANT - ユニバーサルミュージック内紹介ページ
- thee michelle gun elephant - 日本コロムビア内紹介ページ