BSD
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開発者: | CSRG, UCB |
OSの系統: | UNIX |
ソースコード: | オープンソース |
最新リリース: | 4.4-Lite2 / 1995年 |
カーネル種別: | モノリシックカーネル |
ライセンス: | BSDライセンス |
開発状況: | 休止(派生版は継続) |
BSD(ビーエスディー)は、Berkeley Software Distribution の略語で、 カリフォルニア大学バークレー校 (University of California, Berkeley, UCB) において開発・配布が行われたソフトウェア群、およびUNIXオペレーティングシステム (OS)。 なお、今日「BSD」という名称は同OSを元に開発されたBSDの子孫の総称として使われることもあるが、この項では前述のUCBによるソフトウェア群およびOSについて述べる。
[編集] 歴史
初期のBSDは、UCBのコンピュータサイエンス学科に在学していたビル・ジョイが開発し、1977年に1BSDとして初めて配布された。 BSDの改良と配布は同校のComputer Systems Research Group(CSRG)が担当した。 当初のBSDはPascalコンパイラやviエディタ、Cシェル (csh) などのユーティリティ群だったが、後には同校において改良されたUNIXオペレーティングシステム全体を含むようになり、転じて同校が改良・配布したUNIXの一連のバージョンを意味するようになった (BSD UNIX)。 BSD UNIXは仮想記憶やジョブ制御機構、vi、TCP/IPスタック(Berkeleyソケット)などUNIXの発展に様々な寄与を行った。また、BerkeleyソケットをTurbo Pascalで書き直したものがのちにWindows 95に取り込まれ、現在のWinsock2の元となった。
元々、BSD UNIXはAT&Tが配布したUNIXを基に開発が行われ、利用にはAT&Tのライセンスが必要であった。 この問題を回避するため、多くのユーティリティが独自に書き直され、AT&Tのコードはカーネル部分にいくつか残るだけになった。 この部分を除いたものが1991年に4.3BSD Net/2としてBSDライセンスの下に公開された。 このため4.3BSD Net/2は完全にOSとして動作するものではなかったが、Intel 80386アーキテクチャへの移植の基とされ、BSDi社のBSD/386(後にBSD/OSと改称)やフリーな386BSD(後にNetBSDやFreeBSDに引き継がれた)といったBSDの子孫が派生した。
1992年、AT&Tの一部門であるUNIX Systems Laboratories(USL)により知的財産権や商標権の侵害に関する訴訟が起こされ、4.3BSD Net/2の公開が停止された。 訴訟の過程ではAT&T由来のコードがNet/2にまだ含まれていることが明らかとなったが、同時にAT&Tが販売しているUNIX System VにもBSD由来のコードがライセンスに違反して使用されていたことから、NovellがUSLを買い取った後の1994年に関係者は和解。その結果として4.4BSDは、AT&Tのライセンスに抵触しない4.4BSD-Liteと従来通りのライセンスを要する4.4BSD-Encumberedの2つのバージョンで出荷された。 4.3BSD Net/2を基にしていたBSDのオープンソース系の派生OSは、4.4BSD-Liteを基に書き直され、ライセンスの問題を解決した。
しかし、この訴訟と時期を同じくしてUNIX分野から撤退するメーカーが増えたためにBSDを採用するベンダーが減少、そして防衛高等研究計画局(DARPA)からの資金援助が打ちきられた(要求された目標を達成したためと思われる)ことから、CSRGは資金調達に苦心するようになっていた(「新たな機能を実装するより資金調達に走り回っている時間のほうが長くなった」)。加えてこの訴訟問題に体力を消耗させられ、1995年に4.4BSD-Lite2を出荷したのを最後にCSRGは解散、バークレイ校でのBSDの開発は幕を閉じた。