BBCプロムス
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BBC プロムス(The BBC Proms)はイギリス・ロンドンで毎年夏開催される、8週間におよぶ一連のクラシック音楽コンサート・シリーズである。ロンドン中心部、サウス・ケンジントンにあるロイヤル・アルバート・ホールを中心に100以上のイヴェントが行われ、世界最大のクラシック音楽祭である。
プロムス(Proms)は「プロムナード・コンサート」の略であり、その語はこのコンサート開始当初に聴衆がそぞろ歩いていた(promenading)習慣に由来している。今日ではアリーナ席およびギャラリー席に設けられた立見区画(チケットは通常席と比べて廉価である)での聴衆の行動を"Promming"なる語で形容したりもする。一部の例外を除けば、こうした立見席のチケットはコンサート当日のみの発売となっているため、人気演奏家あるいは著名作品の演奏においてはチケットを求める長い列ができることになる。足繁く通う「プロマー」は当日売りでなく、1シーズン通し、あるいは半シーズン通しのチケットを購入することも可能だが、立見区画内での立ち位置の指定まではできない。プロマーの中には皆勤に執心する人たちも多く、全コンサートを聴いた記念のバッジあるいはTシャツを身に着けている者もいる。1997年のBBCのテレビ・ドキュメンタリー「モダン・タイムス」ではこうした熱狂的聴衆を特集した。
[編集] 歴史
最初の「プロムス」コンサートは1895年8月10日、ロンドン、ランガム・プレイスにあったクイーンズ・ホールで開催された。企画者、ロバート・ニューマンの考えは、通常はクラシック音楽のコンサートを訪れないような人々も、チケットが安く、より親しみやすい雰囲気であれば魅力を感じてくれるのではないか、というものだった。こうして当初はPromenading(歩き回る)だけでなく、飲食および喫煙がすべて自由とされた。
そして、指揮者ヘンリー・ウッドこそがこのプロムスを有名にした最大の立役者だった。彼は第1回のコンサートより指揮者として参加しており、回を重ねるに従ってレパートリーの拡大に貢献した。1920年代までには、それまでのよりポピュラーで、かつ演奏の容易な曲目から、同時代の作曲家、例えばドビュッシー、リヒャルト・シュトラウス、ヴォーン・ウィリアムズなどの作品が演奏されるまでになった。ウッドの功績を記念して、彼のブロンズ製の胸像(本来は王立音楽アカデミーに収蔵されているもの)はプロムス開催期間にはオルガンの前に据えられる。
1927年には、BBC(クィーンズ・ホール向いのブロードキャスティング・ホールに本部があった)がプロムスの運営を引き継いだ。1930年にBBC交響楽団が組織された際には、それがプロムスの中心的オーケストラとなった。この頃は、月曜日はヴァーグナー、金曜日はベートーヴェンといったように特定の曜日に特定の作曲家を特集するような編成がとられており、また日曜日は休演となっていた。
1939年に第二次世界大戦が勃発するとBBCは運営から手を引くことになったが、プロムス自体は民間のスポンサーを得て続行した。これは1941年、クィーンズ・ホールが空襲で破壊されるまで継続する(現在同所にはセント・ジョージズ・ホテルが建っている)。翌1942年にはプロムスは現在と同じロイヤル・アルバート・ホールに移動、そしてBBCが再び運営に当たることになった。
1950年代より、客演オーケストラ数は次第に増加、また1963年のレオポルド・ストコフスキー、ゲオルグ・ショルティ、カルロ・マリア・ジュリーニなど国際的な指揮者、またモスクワ放送交響楽団を初めとしてイギリス国外オーケストラの出演も活発となった。今日では国際的オーケストラ、指揮者、独奏者の殆どがプロムスで演奏を行っていると言っても過言ではない。
中心的なレパートリー演目、古典的な曲目と並んで、プロムスでは特に委嘱した新作音楽の初演も数多く行われている。よりよい形態を目指しての改革も継続中であり、近年では開演前のトーク・ショー、ランチタイムの室内楽コンサート、子供のためのプロムス、プロムス・イン・ザ・パークなどの新企画が登場している。イギリス国内にあっては全てのコンサートがBBC・ラジオ3で生中継され、またテレビでもBBC4チャンネル、あるいはBBC1(主チャンネル)やBBC2での中継放映も多い。BBCプロムス・ウェブサイトでライブ中継を聴取することも可能である。また、最終夜(以下で詳述)は多くの国で中継放送されている。
[編集] 最終夜 The Last Night of the Proms
多くの人々にとって「プロムス」の印象とは最終夜のそれである。もっとも最終夜の様子は通常のプロム・コンサートのそれとは大きく異なっているのであるが。イギリス国内ではその模様はBBC2チャンネルで前半、BBC1チャンネルで後半部分が中継されるのが通例となっている。伝統的に最終夜はより軽く、くつろいだ傾向の構成で、初めにポピュラーなクラシックの曲目、続いて第2部で一連の愛国的な曲の演奏、ヒューバート・パリーの「ジェルサレム」(ウィリアム・ブレイクの詞による)、エドワード・エルガーの「威風堂々」第1番、そして「ルール・ブリタニア」が続く。
当夜のチケットは高人気である。それ以外のコンサートの少なくとも数回のチケット購入を行うことが最終夜のチケットを獲得するための条件となっている。そして「プロマー」たちは当日のより良い立ち位置を確保するため早くから行列(しばしば徹夜での行列)することとなり、こういったことが否が応でも雰囲気を盛り上げていく。加えて、素敵に着飾ることも恒例である。ディナー・ジャケットの者もあり、愛国的な語句を並べたTシャツを着用する者もあり、さらに旗を持ち、風船を持ち、クラッカー(パーティーで用いる火薬入りのそれ)を持って入場することも自由である。音楽を楽しむ機会なのだ、という意識を忘れなければ大丈夫。当夜、ヘンリー・ウッドの胸像は「プロマー代表」の献ずる月桂冠で飾られ、またその代表はウッド卿の禿げ上がった額の汗を拭う仕草をする慣例である。コンサートも終盤に差し掛かると、指揮者は音楽家と聴衆に感謝し、そのシーズン全体を貫くテーマを回顧するスピーチを述べる。そして「ゴッド・セーヴ・ザ・クイーン(キング)」に続いて「Auld Lang Syne(蛍の光)」が奏でられる。
会場のロイヤル・アルバート・ホールはしばしば超満員となる。入りきれなかった人々およびロンドン近郊に居住していない人々に対する代償として、プロムス・イン・ザ・パークなる大画面テレビ中継が数年前より開始されている。初めホールに隣接するハイド・パークのみで行われていたこの中継は、2005年よりベルファスト、グラスゴー、スウォンジーおよびマンチェスターの各都市に拡大されている。各会場ともアルバート・ホールからのフィナーレ中継前の時間には独自のライブ・コンサートの催しがもたれている。
2004年央までBBC交響楽団首席指揮者の座にあったレナード・スラットキン(アメリカ人)は、非・英国人として初めてプロムス最終夜のタクトを振ることになった指揮者だが、(英国に対する)ナショナリズムの横溢したこの最終夜の雰囲気を少しばかりでも緩和したいとの意向を表明していた。その意図のもと、2002年からは「ルール・ブリタニア」はただ一回のみ、ヘンリー・ウッドの「イギリスの海の歌による幻想曲」(これも最終夜の定番曲の一つ)の一部として演奏されるようになっている。
なおスラットキンの最終夜への初登場は2001年であり、これはアメリカ同時多発テロ事件の僅か数日後に行われた。この年の最終夜は当然のことながら例年よりは内省的でおとなしい雰囲気の中で行われたが、スラットキンは当夜を細心の注意を払ってうまく統轄していた。演奏プログラムにも若干の変更が加えられ、サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」も急遽挿入された。