鬱陵郡
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鬱陵郡 | |
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位置 | |
各種表記 | |
ハングル: | 울릉군 |
韓国における漢字: | 鬱陵郡 |
片仮名転写: | ウルルングン |
ローマ字転写: | Ulleung-gun |
情報 | |
面積: | 72.518km² |
総人口: | 9,252人(2003年) |
上位自治体: | 慶尚北道 |
下位行政区画: | 1邑2面 |
行政区域分類コード: | 37430 |
鬱陵郡の木: | ホウノキ |
鬱陵郡の花: | ツバキ |
鬱陵郡の鳥: | モリバト |
自治体公式サイト: | 鬱陵郡 |
鬱陵郡(うつりょうぐん)は大韓民国慶尚北道の郡。陸地(本土)から約150キロ東方の日本海に浮かぶ鬱陵島と付属島嶼からなる。日本と国境紛争のある独島(日本名、竹島)を郡域に含む。面積72,518平方キロ、人口9,252人。鬱陵邑(町)、北面(村)、西面(村)の1邑2面で構成される。
目次 |
[編集] 歴史
- 512年 新羅による于山国征伐(鬱陵島が初めて文献に登場)
- 930年 芋陵島住民、高麗に朝貢
- 1018年 女真族の度重なる侵入により荒廃
- 1379年 倭寇が武陵島住民を本土に追う
- 1417年 李氏朝鮮住民を島に帰還させる
- 1614年 対馬藩主へ鬱陵島に倭人の往来を禁止すると通告
- 1693年 鬱陵島で朝鮮人と日本漁夫の衝突、朝鮮と日本の外交紛争発生. (安竜福1次渡日)
- 1696年 安竜福2次渡日。日本伯耆州太守と談判し、鬱陵島が朝鮮領土であることを認定(日本人の出漁、伐採禁止)
- 1882年 鬱陵島開拓令頒布、島長を任命
- 1883年 鬱陵島へ移住開始(54人)
- 1895年 専任島長を任命
- 1900年 鬱陵島を鬱陵郡に改称し、江原道に編入。行政区域を南面と北面で分ける。
- 1906年 鬱陵郡を慶尚南道に編入
- 1914年 慶尚南道から慶尚北道に移管
- 1915年 郡制を廃止し済州島とともに島に変更、鬱島郡庁を鬱陵島庁、郡守を島司に改称
- 1949年 韓国政府樹立後、鬱陵郡として返還 (慶尚北道鬱陵郡)
- 1979年 南面が鬱陵邑に昇格,現在の1邑2面体制成立
- 2000年 鬱陵邑に独島里を新設
[編集] 地理
中央に聖人峰が聳えている。北部は羅里盆地となっていて周辺には海水浴場が多くある。
[編集] 行政区画
下位行政区画は1邑2面。
- 鬱陵邑(10ヵ里)
- 道洞1~3里
- 苧洞1~3里
- 沙洞1~3里
- 独島里
- 北面(8ヵ里)
- 錐山里
- 羅里
- 玄圃1・2里
- 天府1~4里
- 西面(7ヵ里)
- 南陽1~3里
- 南西1・2里
- 台霞1・2里
[編集] 経済
近海でサンマ、明太、イカなどが取れ、主に漁業で生計を立てる。土地は痩せており、麦やトウモロコシ程度しか採れない。浦項港などとの間に旅客船の便があり、本土からの観光客は年に20万人程度である。陸地との交通が不便で、スーパーマーケットや商店がなく、漁業協同組合が販売チェーン店を運営する。
[編集] 独島博物館
1995年、光復50周年を迎えて独島博物館設置が決まり、鬱陵邑が土地を提供し三星文化財団が建設した施設にイ・チョンハク初代館長が30年余りの間国内外で収集した資料を中心に独島義勇守備隊同志会の資料などを加えて、1997年8月8日韓国内唯一の領土博物館として開館した。敷地面積2,441坪、施設延べ床面積484坪で、地下1階地上2階建て。1998年8月8日開館1周年を記念して独島博物館標石や野外独島博物院が造成された。
[編集] 教育
- 鬱陵総合高等学校