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高向玄理(たかむこのくろまろ、? - 白雉5年(654年))は飛鳥時代の学者。
渡来人の子孫で、608年、遣隋使小野妹子に従い留学生として隋へ留学する。640年に南淵請安とともに帰国。
645年の大化の改新後、旻とともに新政府の国博士に任じられる。646年、遣新羅使として新羅に赴き「任那の調」を廃止することを引きかえに「質」を差し出させる交渉を行い、翌647年に金春秋が来日する。649年に八省百官を定めた。
654年、遣唐使の押使として唐に赴き、長安で客死した。