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閻宇(えんう、209年? - ?)は、三国時代の蜀の武将。字は文平。
荊州南郡の人。蜀の末期頃に右将軍を務めた。羅憲と共に巴東の守備を務めており、諸葛亮死後の蜀を併合しようとした呉軍と対峙した。馬忠(徳信)の後を継いだ将軍で、職務には忠実で武勇もあったが、功績や風格では馬忠に遠く及ばなかったと評されている。だが、諸葛瞻ら荊州出身の高官からの支持が高く、宦官の黄皓もなぜか閻宇を気に入って重用した。魏侵攻戦では姜維を成都に召喚し閻宇を代わりに鄧艾軍に当たらせた。だが魏の大軍に驚き戦意を消失した。