長野県飯田風越高等学校
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飯田風越高等学校 | |
国公私立の別 | 公立(県立) |
設立年月日 | 1901年(明治34年) (郡立下伊那高等女学校) |
建学の精神 | |
共学・別学 | 男女共学 |
制服 | あり(男子:詰襟、女子:セーラー服) |
教育課程の特例 | |
特殊学級 | なし |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科、家政科、国際教養科 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒395-8543 |
長野県飯田市上郷黒田6462 | |
電話番号 | 0265-22-1515 |
FAX番号 | 0265-22-8390 |
外部リンク |
長野県飯田風越高等学校(ながのけんいいだふうえつ こうとうがっこう)は、長野県飯田市にある公立高校。1949年(昭和24年)に2つの旧制女学校を統合し女子校として創立。1978年(昭和53年)に男女共学になった。略称は「風越(ふうえつ)」。
普通科の他に家政科、国際教養科がある。
文化祭は、「風越祭」と称し、校名に由来する。
電車通学の場合、天竜峡方面から来る人は飯田駅、伊那大島方面から来る人は桜町駅から歩くことが多い。
自転車通学の場合、学校まで自転車で行くこともあるが、麓の中央自動車道下の駐輪場に自転車を置き、大根坂(だいこんざか)と呼ばれる坂を登る生徒も多い。大根坂の由来は、足が大根のように太くなるような急坂であるから。
目次 |
[編集] 沿革
- 1901年3月4日 - 下伊那郡立下伊那高等女学校の設立を官報で告示。
- 1901年4月25日 - 下伊那郡立下伊那高等女学校として開校。
- 1909年4月 - 下伊那高等女学校が長野県に移管し、長野県立飯田高等女学校となる。
- 1920年4月 - 長野県令38号により、長野県立飯田高等女学校が長野県飯田高等女学校に改称。
- 1921年4月 - 飯田町立飯田職業学校が開校。
- 1922年4月 - 飯田町立飯田職業学校の女子部が独立し、飯田町立飯田実科高等女学校となる。(男子部は飯田商業学校(現長野県飯田長姫高等学校)となる。)
- 1943年4月 - 飯田町立飯田実科高等女学校が、飯田市立高等女学校と改称。
- 1948年4月 - 学制改革により、長野県飯田高等女学校が長野県飯田西高等学校に、飯田市立高等女学校が飯田市立高等学校となる。長野県飯田西高等学校に定時制を設置。
- 1949年4月 - 飯田市立高等学校を長野県に移管し、長野県飯田北高等学校となり、飯田西高等学校と統合し、長野県飯田風越高等学校となる。
- 1976年8月 - 現校舎に移転。寄宿舎「清風寮」を閉寮。
- 1978年4月 - 男女共学を実施。
- 1982年3月 - 定時制を廃止。
- 2002年4月 - 国際教養科を設置。
[編集] 出身者
[編集] 校歌・応援歌
- 校歌
- この校歌は、日本近代音楽の確立に尽力した教育者である伊沢修二による作歌(作詞)である。旧2番の歌詞については、女子高時代の面影が強く残っており、共学化により歌詞の変更が望まれ、2001年の創立百周年記念式典挙行に伴い、公募によって校歌新2番の歌詞を定めた。