長野県赤穂高等学校
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赤穂高等学校 | |
国公私立の別 | 公立(県立) |
設立年月日 | 1903年(明治35年)村立赤穂染織学校 |
建学の精神 | |
共学・別学 | 男女共学 |
教育課程の特例 | |
特殊学級 | なし |
課程 | 全日制課程、定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | (全日制課程)普通科、商業科 (定時制課程)普通科 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒396-8558 |
長野県駒ヶ根市赤穂11041-4 | |
電話番号 | 0265-82-3221 |
FAX番号 | 0265-81-1251 |
外部リンク |
長野県赤穂高等学校(ながのけんあかほこうとうがっこう)は、長野県駒ヶ根市にある公立高校。
文化祭は「鈴蘭祭」という。
私立の四年制大学・短期大学への進学者が多い。
現在の駒ヶ根市役所の位置から移転した当時は、周囲に商店などもなかったが、バイパス開通や再開発などにより、大型店やコンビニが、近隣に設置され便利になった。
かつて存在した制服(男子は詰襟、女子はセーラー服)は、1990年代前半に、生徒の強い要望で廃止になり、現在は私服での通学となっている。 しかし、その考えも1990年代後半の「コギャルブーム」の影響によって見直され始め、女子生徒の中には、ミニスカートにセーター、ルーズソックスを合わせて「なんちゃって制服」を着て登校する者も多かった。現在でも、一部の生徒たちの間では制服復活を願う声も消えない。
目次 |
[編集] 沿革
- 1903年7月22日 - 村立赤穂染織学校として開校。
- 1913年4月1日 - 村立赤穂染織学校が赤穂女子実業学校と改称。
- 1917年7月15日 - 赤穂村立公民実業学校が開校。農業科、商業科を設置。
- 1932年7月14日 - 赤穂村立公民実業学校が長野県赤穂公民実業学校と改称。
- 1940年2月22日 - 長野県赤穂公民実業学校が長野県赤穂農商学校と改称
- 1943年4月1日 - 赤穂女子実業学校が長野県赤穂高等女学校と改称
- 1948年4月1日 - 学制改革により、長野県赤穂農商学校、長野県赤穂高等女学校が合併し、長野県赤穂高等学校として開校。
- 1948年5月23日 - 定時制課程を開設。(中心校、飯島分校、中沢分校、南向分校)
- 1949年3月31日 -定時制中沢分校を廃止。
- 1949年4月1日 - 県立に移管。
- 1955年3月31日 - 定時制飯島分校を廃止。
- 1960年8月16日 - 野球部が信越代表として甲子園へ出場。(1回戦:早実1-2)
- 1961年4月1日 - 農業科募集停止、工業科を設置。
- 1964年3月12日 - 工業科が分離独立し、長野県駒ヶ根工業高等学校となる。
[編集] 校章
[編集] 最寄駅
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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