長谷川悟史
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長谷川 悟史(はせがわ さとし、1976年6月19日-1999年3月1日)はパンクラスに所属していたプロレスラーである。神奈川県横須賀市出身。
[編集] 経歴
高校卒業後パンクラスの第4回入門テストを受け合格後、1996年に行われたネオブラットトーナメント初戦・山宮恵一郎戦でデビュー。当時パンクラス最軽量ながら引き締まった肉体とスピードを武器に独特のファイトスタイルで人気を得たが、1999年3月1日、道場近くのマンションから転落し、骨折に基づく外傷性出血ショックで急逝、享年22。
[編集] 人物像
どれだけしっかり関節技が決まっても決してギブアップすることがなく(一回だけしたが)ロープエスケープもしない。よくレフェリーストップをくらって悔しそうな顔をしていた。
ロープエスケープ0という記録も持っている。
あのK-1チャンピオンのセーム・シュルトから圧倒的な体格にも動じることなく向かっていきタップを奪ったこともあった。当時セーム・シュルトはパンクラス参戦において圧倒的な強さを見せ付けていた。あの鈴木みのるも惨敗するなど、試合前予想ではセーム・シュルト圧勝だった。その予想を覆しギブアップ勝ちをしたのにもかかわらず本人は小さなガッツポーズをするだけだった。
[編集] 転落事故
今なお彼の転落事故には謎が多く残っている。当時は自殺も囁かれたが、転落の数日前にプロレス雑誌の記者に「今ウェイトトレーニングに力を入れているんです。」と話しており、また転落の直前にはバイクを修理に出しており自殺と考えるのは難しい。またパンクラスの大先輩・船木誠勝が趣味で映画を撮っており、長谷川は彼の映画撮影で転落したのではないかと言われているが、もし船木が関わっていたらマスコミが一斉に飛びつくと思われるので、あくまでもこれはファンの憶測であろう。なぜ長谷川が本人とは関係ない(とパンクラスは発表している)転落場所のマンションにいたのかもわからないままである。