鉄嶺
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鉄嶺(てつれい, Tieling)は中華人民共和国遼寧省の地級市。面積12,985平方キロ、総人口299万人(2001年末)。
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[編集] 地理
遼寧省北部、松遼平原の中央に位置し、南は瀋陽、撫順市、北は吉林省四平市、東は撫順市清原満族自治県、吉林省遼源市と接する。西は瀋陽市法庫県、康平県、内モンゴル自治区科尓沁左翼后旗、通遼市である。
[編集] 行政区画
- 区:銀州区、清河区
- 県級市:開原市、調兵山市
- 県:鉄嶺県、昌図県、西豊県
- 下位の郷鎮は51鎮、38郷(うち13民族郷)である。首府は銀州区に置く。
[編集] 民族
漢族、満族、朝鮮族、蒙古族、回族、シボ族、ウイグル族、オロス族(=ロシア人)など31民族が住み、総人口290万人のうち、漢族が77.7%である。開原市と西豊県は少数民族が多く、それぞれ54.5%と40.8%を占める。満族は開原市と西豊県に多く、 朝鮮族は開原市と鉄嶺県、清河区、銀州区に多い。
[編集] 歴史
春秋戦国時代は東胡の住む地であり、恵王 (燕)が遼東郡を設置した。漢代には玄兎郡に属し、越喜部族の地となった。唐代に渤海が越喜の地を取って富州と改め、富州は今の鉄嶺城である。917年、遼の太祖がこの地を銀州と改めた。明代には銀州に鉄嶺衛が置かれ、清の康熙帝が1664年衛を廃止して鉄嶺衛を置いた。
日露戦争後には日本人居留地が増え、日本軍が駐屯してしばしば軍事演習が行われた。満州国時代には抗日義勇軍が蜂起することもあった。国共内戦では中国国民党に対する武装ゲリラ戦が行われ、1848年10月28日に解放軍が入城した。
[編集] 著名人
[編集] 経済
全市粮食生産量は25億キロ、うちトウモロコシが20億キロで全省生産量の三分之二を占める。トウモロコシの副産物であるフルフラールの中国最大の工場がある。また牧畜業も盛んで、牛肉、豚肉、鹿肉、羊肉などを生産する。
[編集] 友好都市
[編集] 外部サイト
- 鉄嶺市公式サイト(中国語)