金森通倫
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金森通倫(かなもり みちとも、「つうりん」とも 1857年(安政4年)8月15日 - 1945年(昭和20年)3月4日)は、日本の牧師。別名はポール・カナモリ。
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[編集] 年譜
- 1857年8月:肥後国玉名郡小天本村(現在の熊本県玉名市)に庄屋 金森繁蔵の次男として生まれる(金森家については郷士だったとする文献もある)。
- 1871年:日新堂に入塾
- 1876年8月:熊本洋学校卒業
- 1876年9月:同志社入学 新島襄より受洗
- 1879年6月:同志社神学科卒
- 1880年10月:岡山教会牧師(~1886年9月)
- 1883年6月:同志社普通学校長兼神学校長(~1884年3月)
- 1884年7月:東京番町教会牧師(~1885年4月)
- 1885年:自由党入党 「自由新聞」主筆
- 1888年:同志社長代理として同志社大学設立の募金運動を推進
- 1898年:一旦棄教、2月大蔵省嘱託 貯蓄奨励運動を行う
- 1914年:救世軍入隊(~1917年)
- 1927年3月:ホーリネス教会入会(~1932年3月) 「神・罪・救」の三綱領を説く「金森伝道」を展開 墓所は東京都府中市の多磨霊園
[編集] 人物像
- 「貯金のすすめ」を推進するため全国遊説をした
- 板垣退助と政談演説をした