造幣局
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造幣局(ぞうへいきょく)は、硬貨の鋳造、紙幣の印刷を行う機関である。
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[編集] 日本の造幣局
独立行政法人造幣局は、硬貨の製造、勲章・褒章及び金属工芸品等の製造、地金・鉱物の分析及び試験、貴金属地金の精製、貴金属製品の品位証明(ホールマーク)などの事業を行う。
本局は大阪市北区天満にあり、構内に造幣博物館がある。また、支局が東京(豊島区)と広島(広島市佐伯区)の2か所にある。
大阪市の本局は1871年(明治4年)に大蔵省造幣寮として創設され、1877年(明治10年)に造幣局に改称、2003年(平成15年)4月に独立法人化された。創設された1871年から工場内および近隣周辺にガス灯を点灯している。これは貨幣を鋳造するために発生させたガスの余剰分を利用したものであり、特に屋外に設置されたものは日本で初めてのガス灯による街灯でもあったため、その明るさに見物人が押し寄せた。
この造幣局では、冬季長野オリンピックの金・銀・銅の各メダルや、名古屋城の金鯱が製作された。
[編集] 桜の通り抜け
大阪市北区の大川(旧淀川)沿いにある本局には、約120品種、約400本の桜が植えられている。毎年4月中旬から下旬にかけての開花時期には一般開放され、多くの人で賑わう。ちなみに2006年は4月12日(水)~18日(火)であった。
又、広島支局でも、毎年開花時期に「花のまわりみち」として一般開放されている。広島支局の桜は1967年に大阪から移植されたものであり、1991年より一般公開を始めた。
[編集] アメリカ合衆国の造幣局
アメリカ合衆国造幣局(あめりかがっしゅうこくぞうへいきょく、United States Mint)は、アメリカ合衆国において、通商貿易のために硬貨の製造を行い、その流通に責任を負う機関である。
アメリカ合衆国造幣局の本部は、ペンシルバニア州フィラデルフィアのフィラデルフィア造幣局に置かれている。
[編集] 歴史
設立は1792年4月2日であり、硬貨法が議会を通過したことにより、国務省の内部組織として誕生した。造幣局の本部であるフィラデルフィア造幣局の建物は、アメリカ合衆国憲法の下において最初に建設された建物でもあった。造幣局の初代局長には天文学者のデイヴィッド・リッテンハウスが指名された。
造幣局は1799年に独立機関となり、その後1873年の硬貨法のにより財務省の下部組織となった。
造幣局の設立により、合衆国は10進法の貨幣制度を採用した。それ以前は8進法のスペインドル銀貨が標準的に使用されており、その中に10進法に基づくイギリスのポンド、シリング、ペニーが混じって使用されていた。1784年、トーマス・ジェファーソン大統領はロバート・モリス財務長官と貨幣制度について議論をした。そしてベンジャミン・フランクリン、アレクサンダー・ハミルトンらの強い後押しにより10進法の貨幣制度導入が提起され、翌1885年の議会により合衆国の貨幣単位は1ドルであり、ドルは10進法に基づいて分割されるという決議が行われた。翌1886年には、1ドルの100分の1がセントと名づけられた。
[編集] フィラデルフィア造幣局
フィラデルフィア造幣局の建物は、1792年に建てられた。実際に硬貨の鋳造業務が開始されたのは翌1793年であった。現在のフィラデルフィア造幣局の建物は4代目である。
フィラデルフィアで鋳造された硬貨には、一部の例外を除き、1980年まで製造地を示す標章が付けられていなかった。実際に製造地を示す標章が付けられ始めたのは1980年になってからのことであり、フィラデルフィア (Philadelphia) を表すアルファベットの "P" という文字が付けられた。
- 詳細は、フィラデルフィア造幣局を参照のこと。
[編集] 支局
フィラデルフィア造幣局が1792年に業務を開始して以来、造幣局は合衆国の各地にはいくつもの支局を展開した。1835年から1838年にかけてノースカロライナ州シャーロット造幣局、ジョージア州ダロネガ造幣局、ルイジアナ州ニューオーリンズ造幣局が開業すると、造幣局は硬貨の製造地を識別するための標章を導入する必要性が生じた。シャーロット造幣局ではアルファベットの "C" が、ダロネガ造幣局ではアルファベットの "D" がぞれぞれ標章として採用され、地元で採鉱された金を材料として金貨の鋳造を専門に行った。シャーロット造幣局およびダロネガ造幣局は南北戦争期の1861年に金貨の生産を終了し、閉鎖された。ニューオーリンズ造幣局ではアルファベットの "O" が標章として使用され、11種類の金貨・銀貨が鋳造された(3セント銀貨、5セント銀貨、10セント銀貨、25セント銀貨、50セント銀貨、1ドル金貨、2.5ドル金貨、5ドル金貨、10ドル金貨、20ドル金貨)。ニューオーリンズ造幣局は南北戦争期の1861年に業務を停止したが、戦後復興期末期の1879年に再開され、その後1909年まで業務を続けた。
1870年にはネバダ州カーソンシティ造幣局が開業し、1893年まで稼動した。カーソンシティ造幣局では地元の巨大な鉱脈から採取された銀を材料とする銀貨が製造され、アルファベットの "CC" が標章として使用された。
1920年、合衆国の植民地であったフィリピンのマニラに、合衆国造幣局の支局が設置された。マニラ造幣局は合衆国本土の外に置かれた唯一の支局であり、1920年から1922年まで、また1925年から1941年まで稼動した。マニラ造幣局からは植民地内で使用される1、5、10、20、50センタボ硬貨が鋳造され、また標章にはアルファベットの "M" が使用された。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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