近鉄820系電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
820系電車(820けいでんしゃ)とは、近畿日本鉄道が保有した通勤形電車の一系列。
本項目ではその改造車860系電車も紹介する。
目次 |
[編集] 820系
1961年に登場。性能は800系を基本としているが、支線での使用を考慮し、Mc+Tcの2両固定編成となった。前面は貫通式・前照灯2灯で、片側2扉だがラッシュ対策のため両開き扉を採用した。登場時は2両編成2本を組み合わせた4両編成で、800系とともに奈良線特急として使用されていた。新生駒トンネル開通後は8000系などの大形車の登場により、京都・橿原線で使用されるようになり、同線の急行や普通で運用した。この場合、820系は小回りが利く利点も生かして、2連で急行運用に入るという場合もあった。また800系とは異なり、丹波橋(当時)を経由した京阪電気鉄道への乗り入れにもよく使用された。京都・橿原線の車両限界拡大後は徐々に生駒線・田原本線での運行に移行して使用されていた。また、1975年の800系807Fの京都線新祝園-山田川間の横転事故発生後、復旧した714+807と4両編成を組んで使用されていた。この際は800系側に貫通路改造と電気制動回路の撤去が行われたが、820系には改造された形跡はなかった。
[編集] 改造・廃車
1968年に600Vから1500V昇圧工事の際、電動発電機・コンプレッサーがTcに移設された。この際電気制動装置は撤去されたため、奈良線生駒-難波間の勾配区間での運用は出来なくなった。(この点が僚機800系との相違点である)また、京都・橿原線の車両限界拡張の際にドアステップの延長が行われている。822Fは後述の860系に改造されず廃車されている。
[編集] 860系
1984年より、伊賀線車両近代化のため南大阪線6800系の台車・主電動機を流用して4編成が860系として狭軌化されて伊賀線に移った。しかし当時、田原本線に820系を残す必要があったため、代わりに800系改造の880系2編成が伊賀線に移った。なお、本系列の狭軌改造に際し、不要となった電動機は名古屋線1000系のカルダン駆動改造に再利用されている。
[編集] 改造・廃車
8400系3両編成グループのワンマン改造により、田原本線での820系が不要となったため、1993年からは田原本線に残っていた3編成を冷房改造の上、伊賀線に転出し、先に伊賀線に移った車両も同じく冷房改造が行われた。その際、880系は廃車された。転出の際に、内外装材の交換や前面窓Hゴム支持の固定化、ステンレス化粧帯の撤去、ドアステップの拡張などの改造が行われた。冷房装置は11400系の物を流用している。
825F改造の864Fも2004年5月に廃車されている。登場から45年以上経過し、老朽化が目立つが、820系以降に製造された通勤用18m車は無く、有効な代替車が見つかっていないのが現状である。近年は、松本零士デザインの忍者などのイメージに合わせた特殊ペインティングを施して注目を浴びている。忍者塗装は861Fは緑色をベース(以前は青色をベース)、866Fはピンク色をベースとしている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 鉄道関連のスタブ項目 | 鉄道車両 | 近畿日本鉄道