赤木高太郎
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赤木高太郎(あかぎこうたろう、1970年1月21日 - )は、日本中央競馬会(JRA)所属の騎手。岡山県和気町出身。元兵庫県競馬組合所属。
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[編集] 経歴
[編集] 地方競馬時代
1987年に園田・齊藤裕厩舎所属で騎手デビュー。1998年秋から約8ヶ月間、単身オーストラリアに遠征。本人曰く、技術面よりもメンタル面を鍛えるための修行であったという。帰国後2000年度から2003年度まで、小牧太・岩田康誠に次ぐ兵庫リーディング3位のポジションをキープ。故・赤木圭一郎と同姓であったことから「園田第3の男」というニックネームも生まれた。
2001年、JRAの騎手免許試験の受験を決意。JRAでの勝ち鞍がなく1次試験(筆記試験)免除の特例(5年間でJRA年間20勝以上を2回達成した地方騎手に適用された)が適用されなかったため、調教やレースの傍ら1日8時間の試験勉強に取り組んだ。2002年の1次試験は不合格であったが2003年秋に合格。地方騎手による初の1次試験合格として競馬メディアによって大きく報道された。また、これ以降柴山雄一をはじめ地方所属の騎手がJRAの騎手免許試験を1次試験から受験する動きが加速した。翌2004年2月には2次試験(実技試験)もクリアしてJRA騎手免許試験合格を果たした。同じ兵庫県競馬組合所属の小牧太と同時の合格となり、2月19日には園田競馬場で、24日に姫路競馬場で「フェアウェルセレモニー」と銘打たれた両騎手の壮行会がとりおこなわれた。
[編集] JRA移籍後
栗東・坪憲章厩舎所属でデビュー。2004年3月6日、中京競馬第2競走を所属厩舎の管理馬・タイセキショウで優勝。中央デビュー初日に初勝利を挙げた。
2005年3月1日付で坪厩舎を離れフリー騎手となった。(競馬ネットmagazine第1389号を参照)
重賞では2着は複数回経験しているものの、優勝はまだ経験していない(2006年11月現在)。 中京、福島、小倉などのローカル路線での騎乗が多く、またそれら小回りコースでの成績が良い。
2006年12月2日、中京競馬第2競走でJRA通算100勝を達成。
[編集] 騎乗成績
地方時代 10193戦1176勝
JRA移籍後(2004~2005年度) JRA1131戦70勝 地方68戦11勝
[編集] 主な勝ち鞍
- 園田ダービー(2002年、優勝馬セトノウルトラ)
- 菊水賞(2002年、優勝馬セトノウルトラ)
- 六甲盃(2000年・優勝馬スペシャルダッシュ)
- 姫山菊花賞(2000年・優勝馬タカライデン)
[編集] 参考文献
- 2004年週刊ギャロップの特集記事