岩田康誠
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岩田康誠(いわた やすなり、1974年3月12日 - )は、兵庫県出身の日本中央競馬会(JRA)所属の騎手である。2006年2月までは、兵庫県競馬組合の清水正人厩舎に所属していた。地方競馬での勝負服の柄は白・青襷だった。得意戦法は先行。
[編集] 地方時代
兵庫県競馬を代表する騎手の一人として、先に中央競馬に移籍した小牧太と共に2本柱と呼ばれた。小牧太が抜けた2004年は、プレッシャーと12月1日の落馬もあり思うほど勝利数は重ねられなかったが、それでも279勝を挙げている。
地方・中央で通算勝利数は3000勝(後述)を数え、中央競馬移籍までは地方競馬の同一施行者での生え抜き騎手の中では断トツの1位であった(生え抜きに限らなければ中津競馬場から移籍してきた有馬澄男が通算で3800勝あまりを挙げており、現役に限らなければ田中道夫が3166勝、小牧太が中央移籍までに3376勝を挙げている)。また1996年にはケイエスヨシゼンでアラブ三冠を達成している。兵庫県競馬史上、アラブ三冠は1970年のアサヒマロットに次いで2頭目。このケイエスヨシゼン騎乗時に、プレッシャーから吐いたのは有名な逸話である。本人も何度かインタビューなどで自分のプレッシャーに対する弱さを吐露している。
しかし、勝利への意欲や闘志は満々で、デビューしたての見習い騎手時代には、レース中に大先輩の2000勝騎手の騎乗馬に果敢に競りかけ、レース後にその乗り方について激しく叱責された(勝負の世界とはいえ、新人騎手がベテラン騎手の馬を競りかけて潰そうというのはやはり憚られることである)。あと、涙目になりながらも「だって、僕だって勝ちたいんだもん」とつぶやいたという逸話があるほどである。
そして、これほどのハートを持つ騎手を周りが放っておくはずがなく、数年もたたぬうちに頭角を現し、兵庫県競馬において田中・小牧時代に取って代わるようにして小牧・岩田時代を作り上げた。ただし、小牧太が中央競馬に移籍するまでに岩田が年間リーディングを獲得したのは1回にとどまる。しかし、これは、所属厩舎の差が影響したものであり、岩田が小牧に劣るということを意味しているのではない(清水厩舎は岩田が頭角を現すまではどちらかといえば弱小厩舎の部類であった)。小牧太の中央移籍後は田中学(田中道夫の長男)とともに兵庫県競馬を牽引していた。
兵庫県競馬所属時代から中央競馬にも盛んに参戦するようになり、2002年にはビリーヴでセントウルステークスを制して中央競馬の重賞を初制覇した。同馬とは3戦3勝と相性が良かった。
2004年には菊花賞をデルタブルースで制し、地方競馬所属の騎手としては初めて中央競馬のクラシックを制覇した。また、地方競馬所属の騎手が中央の競走馬に騎乗してGIを制覇したのも史上初であった。
2005年のワールド・スーパー・ジョッキーズ・シリーズには地方競馬代表として参戦。ゴールデンサドルトロフィーで1着になるなど、総ポイントで41点を挙げ、総合優勝した(地方競馬の騎手が同シリーズを総合優勝するのは第8回(1994年)の石崎隆之(船橋)、第11回(1997年)の川原正一(当時笠松所属)、第15回(2001年)の鮫島克也(佐賀)に次いで4年ぶり4人目であった)。
前述のとおり、2005年12月8日の園田競馬第1競走で1着となり通算3000勝を達成した。1991年10月23日のデビュー以来、14年2ヶ月での達成は佐々木竹見についで史上2番目の速さである。
中央競馬の調教師からの信頼も非常に厚く、地方所属時代に岩田が中央競馬に参戦した日には多くの騎乗数を集めた(一日で4勝をしたこともある)。ただ、地方競馬所属の騎手が中央競馬で騎乗するためには、自分が所属している地区から中央競馬のレースに出走する馬がいる場合に限られる。つまり、地方競馬の騎手にとっては自分の所属する地区のお手馬と共に中央競馬へ遠征しなければ中央競馬での騎乗が認められない。岩田のように地方競馬のトップジョッキーでも参戦した一日の内、最低1鞍は中央競馬に比べレベルの低い地方馬でレースに騎乗しなければならない(もちろん地方馬の中にも中央馬に負けないレベルの馬はいる)。
地方競馬のトップジョッキーだけに中央競馬への移籍は時間の問題とも見られていたが、2006年度の新規騎手試験を受験し合格、3月より中央競馬の騎手として正式にデビューした。地方競馬から中央競馬へは安藤勝己、小牧太、赤木高太郎、柴山雄一がこれまでに移籍したが、安藤と小牧は中央競馬の特例(下記参照)をクリアし中央に移籍した。岩田はこの特例を2004年にクリアし、2006年度の新規騎手試験は二次試験からの受験が可能となっていた。ちなみに過去2年続けて一次試験から受験しているが2度とも不合格となっていた。
[編集] 中央移籍後
中央競馬に移籍した最初のレースをキアヌバローズで制し、いきなり移籍後初勝利を挙げる。そして2006年には10月時点で100勝以上をあげ全国リーディングでも武豊、藤田伸二に続く3位と素晴らしい成績をあげている。今後、現在中央競馬の騎手として圧倒的な存在である武豊を最も脅かす存在になるのではないかとの声もある。2006年にはタイムパラドックスでJBCクラシックを勝利し、JRA移籍後の初G1勝利を果たした。さらに翌週には菊花賞でコンビを組んだデルタブルースと共に海外G1メルボルンカップに出走、こちらも見事に勝利し、自身初の海外G1勝利を果たした。
※東の競馬場(東京・中山)での成績が関西圏に比べると低く、期待されてフサイチジャンクで挑んだ日本ダービーも2番人気で11着と、特に東京競馬場での成績にやや難がある。これは兵庫県の競馬場は全て右回りであり、本人も左回りは乗りづらいと言っていた。実際、移籍後左回り競馬場での初勝利はダービー前日の中京競馬場であった。
※中央競馬移籍後も、兵庫県競馬で行われる中央交流競走には積極的に参戦している。兵庫所属馬への騎乗依頼も多く、岩田が兵庫所属馬に騎乗する際は、かつての白・青襷の勝負服を着用してレースに臨む。
[編集] 中央競馬の特例
5年間で年間20勝以上を2回クリアすると、一次試験の筆記試験(国語・数学・競馬法規)が免除され二次試験(技能試験と面接)から受験できる。この特例は、その当時から中央競馬でも非常に顕著な活躍を見せていた安藤勝己が、一次試験から受験し不合格となったため、ファンからの声によって設けられた特例である。
この特例を利用し、安藤と小牧太、そして岩田が合格した。この特例を岩田の他に、名古屋競馬の吉田稔も2004年にクリアしていたが、吉田は2006年度の騎手試験には不合格となった。前述の条件をクリアした者が不合格になったのは初の例である。条件をクリアすれば高い確率で合格できることは間違いないのだろうが、合格条件を満たさなければ不合格にもなり得ることが分かった。不合格の理由は明かされていないが、騎手としては実績を残しているため技能試験で不合格になることは考えにくい。おそらく面接において合格条件を満たせなかったものだと思われる。不合格にはなったが、次回の受験の際にもこの特例は利用できる。また2006年3月には大井競馬所属の内田博幸が特例をクリアしているため南関東リーディングジョッキーの中央移籍も考えられる。
地方競馬から中央競馬へ移籍した騎手の中には、一次試験から受験した赤木高太郎と柴山雄一が見事に合格している。競馬学校でみっちり一次試験の勉強をしている騎手候補生とは違い、毎週競馬に乗りながら、さらに毎日調教をこなしながら、そして独学で勉強をしなければならない地方所属騎手は、この一次試験に合格するのは非常に困難である。