賈秀全
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賈秀全(か しゅうぜん Jia Xiuquan、1963年11月9日 - )は、中華人民共和国大連出身の元サッカー選手、サッカー指導者。1980年代の中国を代表するディフェンダー。
中国人民解放軍のサッカークラブ、八一隊で頭角を現し、1980年に代表に初召集される。1984年のアジアカップでは決勝で中国はサウジアラビア代表に敗れるも、賈秀全は大会最優秀選手に選ばれる。
1988年からは旧ユーゴスラビアリーグのパルチザン・ベオグラードに移籍し、UEFAカップにも出場した。これは中国人として初めてのヨーロッパ三大カップ出場である。その後は怪我のために長期のリハビリを余儀なくされる。1991年、温暖な気候での療養も兼ねてマレーシアのクラブへ移籍。1992年からは日本の松下電器/ガンバ大阪でプレイした。
[編集] 選手経歴
- 八一隊(中国)1976-1988
- パルチザン・ベオグラード(ユーゴスラビア)1988-1989
- ロイヤル・ポリス(マレーシア)1991-1992
- 松下電器/ガンバ大阪(日本)1992-1993
[編集] 代表歴
- U-20 中国代表
- 1981 FIFA U-20ワールドユース選手権
- 中国代表 1980-1993
[編集] 指導者経歴
- 上海申花アシスタントコーチ(中国)2000
- 八一足球倶楽部監督(中国)2002
- 上海申花監督(中国)2004
- オリンピック中国代表(中国)2005-