費詩
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費詩(ひし、176年-?)は、後漢末から三国時代にかけての蜀の武将。字は公挙。子は費立。
建為郡南安県の人。劉璋に仕えて綿竹の令を務めていたが、劉備が攻めて来ると率先して降伏し、その家臣となった。劉備が蜀を平定すると、督軍従事に任じられる。三国志演義では関羽のもとへ赴き、関羽が五虎大将軍に任命されたとき、黄忠と同列であることを怒ったことを諌めたといわれている。
行政手腕に優れていたため、順調に劉備のもとで出世したが、劉備が皇帝に即位しようとしたとき、これに反対したため劉備の怒りを買って、永昌従事に左遷された。劉備の死後、諸葛亮に重用された。没年は詳しく分かっていないが、蒋琬の時代まで生きていたと言われている。