豊原市
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豊原市のデータ | |
総人口 | 37,160人 (1941年) |
豊原市役所 | |
所在地 | |
樺太豊原市東3条南6丁目 |
豊原市(とよはらし)は、日本の領有下において樺太に存在した市である。
樺太庁及び豊原支庁が置かれ、日本領有下における政治・経済・文化の中心であった。市街地は、札幌市と同様、駅を中心とした「碁盤の目」状の都市計画によって建設され、市内には運動競技場を併設した公園や競馬場を有していた。人口の増加に伴い、空港の建設等を含む更に大規模な都市整備が計画されていたが、太平洋戦争の勃発により実現しなかった。1942年に樺太が内地に編入された事から、豊原市を日本最北の中核規模都市であったとみる意見もある。
1946年1月GHQの指令(SCAPIN-677)により日本の施政権が停止され、1949年6月1日、国家行政組織法の施行により国内法的にも消滅した。太平洋戦争後は、ソ連及びそれを引き継ぐロシア連邦の実効支配下にある。当該地域について日本政府は、ソビエト連邦がサンフランシスコ条約に調印していない事を理由に、「国際法上は所属未定地」との立場を採っているが、世界の多くの国々はロシア連邦の領有を事実上追認している。また、日本外務省がユジノサハリンスクに日本総領事館を設置していることから、ロシア連邦の領有を認めているとする意見もあるが、日本政府は領事館設置と領土問題は無関係であるとしている。
なお、豊原市とユジノサハリンスク市との間には制度上の連続性はなく、区域も一致していない。豊原市の範囲は、ロシア連邦の行政区域ではユジノサハリンスク市の一部及びアニワ地区の一部に相当する。
目次 |
[編集] 地理
西樺太山脈と鈴谷山脈に挟まれた豊原平原にある。
- 山: 鈴谷岳
- 河川: 鈴谷川
[編集] 隣接していた自治体
[編集] 沿革
- 1908年4月1日、内務省告示により、ウラジミロフカを豊原に改称
- 1908年8月、 樺太庁を大泊から移設
- 1915年8月1日、「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」施行により、豊原支庁に豊原郡豊原町設置
- 1923年4月1日、豊原郡豊南村・大富村・西久保村を合併
- 1929年7月1日、「樺太町村制」施行および拓務省告示により、一級町村に指定
- 1937年7月1日、「樺太市制」施行および樺太庁告示により、豊原市設置
- 1945年8月24日、ソ連軍による占領が開始される。
- 1946年2月、ソ連が南樺太を自国へ編入する事を宣言。
- 1946年6月、 ソ連が豊原をユジノサハリンスクに改称
- 1947年4月、 ソ連がサハリン州の州都をユジノサハリンスクに移転
- 1949年 樺太庁の消滅に伴い、豊原市消滅。
- 1951年9月8日、サンフランシスコ平和条約により、領有権放棄。ソ連は実効支配を続けるが、平和条約にはこの放棄された土地がどの国に所属するか明記されておらず、国際法上はソ連の不法占拠状態が続く。米上院は、このソ連による占拠を認めず。
- 2001年1月、外務省が、ユジノサハリンスク市に総領事館を設置。
[編集] 経済
[編集] 産業
- 王子製紙豊原工場
- 樺太製糖豊原工場
[編集] 地域
[編集] 官公署
- 樺太鉄道局
[編集] 教育
- 豊原第一尋常高等小学校
- 豊原第二尋常高等小学校
- 豊原第三尋常高等小学校
- 樺太庁豊原中学校
- 樺太庁樺太師範学校
- 樺太庁豊原高等女学校
- 樺太庁拓殖学校
- 樺太医学専門学校
[編集] 報道機関
- NHK豊原放送局
- 樺太新聞社
[編集] 金融機関
[編集] その他
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
[編集] 道路
- 樺太庁道
- 豊原真岡線 豊原留多加線