谷塩手
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谷塩手(たにのしおて、天武天皇元年(672年)7月23日)は、日本の飛鳥時代の人物である。旧仮名遣いでの読みは「たにのしほて」。姓(カバネ)は直。672年の壬申の乱で、大友皇子(弘文天皇)側の将となり、敵に斬られた。
谷氏は倭漢氏に属する渡来系の氏族である。壬申の乱で谷氏は敵味方に分かれ、塩手は大友皇子側の将であった。7月22日に瀬田で起こった両軍最後の会戦に、塩手も参加したと思われる。大友皇子を破って粟津岡に陣を敷いた村国男依らは、翌日に粟津市で犬養五十君と谷塩手を斬った。同じ日に大友皇子が自殺したことで壬申の乱は終わった。塩手について他に知られることはない。