藤田伝三郎
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藤田伝三郎(ふじた でんざぶろう、天保12年6月16日(1841年8月3日) - 明治45年(1912年)3月30日)は、藤田組の創始者。男爵。現在の山口県萩市出身。元奇兵隊員。
明治維新後、藤田組を設立し、実業界で活躍した。また、旧士族たちの授産事業として岡山県の児島湾を大規模干拓し始めた人物である。
[編集] 藤田組贋札事件
1878年9月15日、贋札製造の疑惑によって又中梧一・藤田辰之助・藤田鹿太郎・新山陽治・佐伯勢一郎・河野清助・入江伊助ら7名と共に拘引され、10月16日東京に移送される。
12月20日何ら証拠がなく藤田は無罪放免となった。その後、1882年9月20日、神奈川県愛甲郡中津村の医師兼画家工・熊坂長庵から2円紙幣の贋札(2000枚行使)815枚と用紙及び印刷器具が押収され、冤罪が晴れた。
大阪市都島区には、かれの蒐集した美術品が5000点あり、現在は藤田美術館として営業している。特に耀変天目茶碗は日本3点いずれも国宝のうち、もっとも美しいといわれている逸品を収集しているので有名。久原財閥を築いて立憲政友会総裁にも就任した久原房之助は甥にあたる。
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