草川昭三
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生年月日 | 1928年8月16日 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
最終学歴 | 名古屋市立工芸高等学校 |
前職 | 石川島播磨重工業 |
役職 | ─ |
世襲の有無 | 無し |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回(衆院当選8回) |
所属党派 | (日本社会党→) (無所属→) (公明党→) (公明新党→) (新進党→) (新党平和→) 公明党 |
党の役職 | 党副代表 |
会館号室 | 参議院議員会館202号室 |
ウェブサイト | http://www.kusakawa.gr.jp/ |
草川 昭三(くさかわ しょうぞう、1928年8月16日 - )は、公明党所属の参議院議員(元衆議院議員)。
- 石川島播磨重工業の労組幹部をへて、当初は社会党公認で衆議院選挙に出馬するが落選。1976年12月の第34回総選挙で、無所属として初当選。当選直後は、革新系無所属として活動する。1980年代になって公明党・国民会議に所属(国民会議は、高木健太郎、高桑栄松、和田教美、中西珠子、続訓弘、広中和歌子など、非創価学会員・非公明党員(立候補時)で公明党の活動に賛同した議員(但し、参議院議員は選挙時に、既に「公明党」として比例代表名簿に登載されている)としてが参加した共同会派である)
- 1986年10月21日、衆議院決算委員会で、アダルトゲームの「177」を問題にする。通商産業省側はこれを受け、業界団体に指導をすると答弁。
- 1994年12月新進党結成に参加。
- 1996年の住専国会において議院運営委員会新進党筆頭理事に就任し陣頭指揮を執った。
- 1998年1月新党平和結成で神崎武法代表の下で国対委員長に就任。11月参院会派・公明と統合し統一公明党結成で国対委員長に就任。
- 1999年には、二階俊博自由党国対委員長と古賀誠国対委員長とともに自自公連立政権の国会対策にあたる。
- 2000年6月の衆院選で民主党の前田雄吉候補(愛知6区)に敗れ落選。国対委員長を太田昭宏に譲った。
- 2001年7月の参議院選挙で比例代表区から出馬し当選。
- 現在、党副代表兼党参議院議員会長。公明党所属の国会議員の中では最高齢(78歳)。
- 2007年の参議院選挙には出馬せず、引退することが決まった。
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