自動車電話
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自動車電話(じどうしゃでんわ)とは、、自動車搭載の電話機による移動体通信である。陸上の基地局で公衆交換電話網と相互接続されており、現在の携帯電話システムの元となった。
なお日本では、1999年11月から運転しながらの電話が法律で禁止(2004年11月から無条件・罰則対象)されたため、運転者は停車中だけしか使ってはならない(ハンズフリー使用等は対象外)。運転中に通話・操作を行うことは非常に危険である。
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[編集] 初めての自動車電話
初めての、公衆交換電話網と接続された自動車対象の移動無線電話システムは、1946年にアメリカミズーリ州のセントルイスでの、サウスウエスタン・ベル電話会社による手動式自動車電話だといわれている。
これは、トランシーバーと同じく同時通話の出来ない単信式であり、半径20~30km前後の非常に広い範囲を一つの基地局でカバーした大ゾーン方式で、通信を途切れさせること無く基地局変更するハンドオーバー機能が無かった。また、150MHz帯に60kHz間隔で6chの割り当てしかなく同時通話可能数が少なかった。
1961年に400MHz帯が割り当てられて同時通話可能数が増え、1967年に自動交換式のサービスが開始された。
[編集] 日本の自動車電話
日本では、民生用以前から、警察・消防業務用に「移動警察電話」「移動消防電話」のシステムが存在した。多くは本部長・部長など幹部職員が本部や関係機関と連絡を取る為の専用回線として使用されていた。
収容可能移動局を増やすため、一つの基地局あたりのカバー範囲を半径数km程度にする電波の利用効率の良い小ゾーン方式とし、帯域の広い800MHz帯を使用し、ハンドオーバーを可能にした、アナログ携帯電話の系譜につながる民間用システムは、旧日本電信電話公社(現NTTドコモ)により、世界で初めて1979年に開始された。
当時は、機器類はすべて電電公社からのレンタル品であり、保証金20万円のほか、月額基本料3万円、通話料が6秒で10円と、非常に高額であった。このため、当初は大手企業の社長など経営幹部の社用車に設置され、後部座席に座る幹部と本社の緊急ビジネス連絡用に使用された。
その後、1985年の電電公社の民営化などの通信自由化政策が行われ、1988年以降、新規参入第一陣として、旧IDO・DDIセルラーグループ(現au)が自動車電話事業を開始。
その結果、複数事業者グループ体制となり、競争が発生して料金も低下し、新規需要として、土木建築現場やイベント会場などの遠隔地での通信手段確保の用途に広がり、現在の携帯電話の下地を作った。
[編集] コンビニエンス・ラジオ・ホン
コンビニエンス・ラジオ・ホン(CRP : Convenience Radio Phone)は、法規上の名称を簡易陸上移動無線電話通信といい、 800MHz帯を利用した大ゾーン方式でハンドオーバー機能が無い、公衆交換電話網と相互接続される自動車向け移動体通信である。ゾーン内の同時通話数の少ない地域向けに、基地局・移動局のコストを抑え、安価な移動体通信を早期に普及させる目的で開発された。
通話時間が1回3分に制限される、携帯端末も存在したが小型化が進まなかったなど、使い勝手の悪い部分があった。
1988年より、各社がサービスを開始したが、PHSや携帯電話の低価格化による競争の激化で、経営不振に陥り、携帯電話会社に営業譲渡(譲受側も廃止を前提としていた)してサービスを停止した。
- 山口ニューメディアセンター(山口)→NTTドコモ中国
- 釧路テレコム(北海道)→NTTドコモ北海道
- 十勝テレホンネットワーク(北海道)→北海道セルラー電話(現KDDI)
- テレコム青森(青森)→NTTドコモ東北
- テレコム八戸(青森)→東北セルラー電話(現KDDI)
- 長岡移動電話システム(新潟)→NTTドコモ
- テレネット遠州(静岡)→日本移動通信(現KDDI)
[編集] 略歴
以降は携帯電話を参照。