筆記体
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筆記体(ひっきたい)とは、書体のひとつ。
文字は、もともと筆記で書かれるものからはじまり、その後さまざまな書体が開発されるという発展の様式をたどった。その中で、筆記で書くのに適した、一筆書きのように文字を続けて書く手書き文字、あるいはそれに似せた印刷用の書体(活字やコンピュータ用のフォントなど)のことを「筆記体」と呼ぶ。日本において筆記体と言えば通常はアルファベットのものを指し、フォントとして「イタリック」「カッパープレート」「カーシヴ・スクリプト」「ツァッフィーノ」などがある。欧米などのアルファベットを使用する国々では日常的に広く用いられているが、日本においては手書き文字としてはあまり使われず、デザイン上の理由で用いられることが多い。
日本語文字において同様のものとしては「行書体」「草書体」などがある。
[編集] アルファベット
アルファベットにおける筆記体(Cursive style)は、各単語内のすべての文字を連結させ、 一本の複雑な筆線で記述する筆記の形式である。イギリスでは専ら“joined-up writng”という用語が用いられており、またオーストラリアではしばしば“running writing”という用語が使われている。筆記体は、手書き文字と活字の折衷であるブロック体や、活字体とは異なるものであると見なされている。
[編集] 歴史
17世紀前半のマサチューセッツ州プリマス植民地の知事ウィリアム・ブラッドフォードの手書き文字では、ほとんどの文字は分離されていたが、少数の文字は筆記体のように連結されていた。その1世紀半後にあたる18世紀後半には、この状況は逆転していた。トーマス・ジェファーソンによるアメリカ独立宣言の草稿では、すべてではないにせよ、ほとんどの文字は連結されていた。後日職人により清書された独立宣言は、完全な筆記体で記述されていた。その87年後の19世紀半ばには、エイブラハム・リンカーンが今日とほとんどと変わらない筆記体でゲティスバーグ演説の草稿を書き上げていた。
タイプライター発明以前の18世紀および19世紀において、公的な通信文は筆記体により記述されていた。これらの筆記体は見栄えの良さを意味して「フェア・ハンド(fair hand)」と呼ばれており、会社内の全事務員は正確に同じ筆跡で書く事を要求されていた。初期の郵便においては、手紙は筆記体で書かれ、一枚の便箋により多くの文章を書き込むために、文章は本来の行から直角に折れ曲がった行にも書き続けられた。ブロック体でこの書き方を行う事はできなかった。
女性による手書き文字は男性による手書き文字とは明らかに異なっていたが、普遍的な手書き文字の形式には急速な変化は起こらなかった。19世紀半ばには比較的少数の児童にしか筆記体は教えられておらず、それが重要な技術であったために、筆記体を学習する事の重要性が強調されていたが、教室において効率的に筆記体を普及させるための努力は行われなかった。20世紀半ばに達した時には、僅かな簡略化しか行われていなかった。時間割の一例を挙げれば、アメリカ合衆国において筆記体が教えられようになるのは、通常2年生か3年生(7~9歳)の学童に対してであった。
1960年代以降、筆記体の教育は必要以上に難解であると考えられるようになった。単純に文字を傾斜させたイタリック体はより平易なものであり、伝統的な筆記体を不要にするものであるとの議論が巻き起こった。また、書体の種類が有用性を持つようになったことで、手書きの文字が著作権を形成するようになった。これにより、20世紀後半には D'Nealian や Zaner-Bloser などの多様な新しい筆記体が現れた。選びうる限りの標準化されていない手書き文字が、異なる英語圏の国家の異なる学校制度の下で用いられるようになった。
コンピューターの出現により、通信を形式化する方法としての筆記体は省みられなくなった。かつて「フェア・ハンド」を必要としていたいかなる職種も、現在ではワードプロセッサーとプリンターを用いている。筆記体教育は学校においてますます重要視されなくなり、長い手書き文が必要なテストのような状況のためにのみ残されている。これらの手書き文では筆記体の方が早く書けると考えられてはいるものの、この利用もまた省みられなくなりつつある。
[編集] 筆記法
筆記体による小文字の大部分は、印刷やタイプライターによる小文字、特にイタリック体の小文字に非常によく似ている。ただし、筆記体やブロック体では、「a」の上の部分のフックや、円を二つ縦に並べた「g」は基本として使用しない。正確な文字の形は筆記体の形式により異なっている。いくつかの筆記体では、「f」は交差する横棒の代わりに二つの円で書かれる。いくつかの筆記体、特にフランス式では、「p」は「n」のように下の部分を離したままで書かれ、場合によっては上の部分まで離し、「p」が単純な線に見えるような形で書かれる。「r」はしばしば中世の「半分のr」に由来する字体で書かれる。また、「z」には尻尾が付けられる。これも中世の筆記法に由来する。他の小文字は概ね同じ字体のままで伝わっているが、18世紀のローマ字体の小文字「w」は、今日使われている「n」に「v」を繋げたような形をしている。また当然ながら、「長いs」は使われない。
大文字は筆記体特有の字体を使用するが、いくつかの筆記体では活字体に関連付けられた字体を使用している。
伝統的に、一つの単語の中にある連結された全ての筆線は、「tの横棒を引き、iの点を打つ(crosses one's ts and dots one's is)」前に完成させなければならない。上のフレーズは、作品を仕上げる事を表現する英語の慣用句となっている(ほとんどの筆記体の形式では、小文字のxと大文字のXの交差線や、jの点も同様の規則に従って書く)。
18世紀から19世紀半ばまでの手書きの筆記体は、18世紀の版画の見出し文字に使用されていた、より美術的な筆記体カッパープレート(Copperplate)とは異なっていた。カッパープレートでは小文字体のアセンダやディセンダが太い実線で書かれるのに対し、筆記体では細い輪で書かれる。これは、事務で使用するインクを節約するためであったと考えられる。