笠原恵太
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笠原 恵太(かさはら けいた、1973年6月14日 - )は、元プロサッカー選手。
[編集] 経歴
[編集] 人物
- 元水戸ホーリーホックの笠原宗太は実弟。
- 前橋商業高校時代はチームの中心選手として活躍。卒業後、サッカー推薦で筑波大学に入る。
- 1996年にコンサドーレ札幌に入団。背番号は「37」。
- しかし、思ったような活躍ができず、結局1試合も出場できないまま戦力外通告を受け、ヴァンフォーレ甲府へ移籍。
- その後甲府を1年で退団し、群馬県の強豪クラブチーム「図南クラブ」に請われて入団。闘志むき出しの激しいプレーでチームを15年ぶりの国体出場へと導く。
- 2001年、群馬県立桐生高等学校に講師として採用され、サッカー部監督に就任。現在は採用試験に合格し、正規の教員となり、指導に当たっている
- 2004年1月4日、群馬県出身のJリーガー・元Jリーガーによる対抗戦「新春ドリームマッチ群馬2004」に出場。往年の雄姿を観客に見せ、盛んに歓声を浴びていた。
- 趣味はゲーム。特に「ファミコン」が好きといい「たけしの挑戦状」を史上最も優れたソフトであるといい、現在も定期的にプレーしている。
- サッカー解説者の平川弘は友人。佐藤一樹は高校の後輩にあたる
- 2005年4月より群馬県立高崎高校サッカー部監督、2006年群馬県インターハイ予選で県ベスト8に導く。