穆王 (周)
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穆王(ぼくおう ? - 紀元前940年)は周王朝の第5代王。諱は満。
第4代昭王の子であり、昭王が楚への遠征途上で行方不明になったので仮に王位に就き、その後に昭王の死が判明したので正式に王位に就いた。
彼は中国全土を巡るのに特別な馬を走らせていたと言われる。すなわち、土を踏まないほど速い「絶地」、鳥を追い越す「翻羽」、一夜で5000km走る「奔霄」、自分の影を追い越す「越影」、光よりも速い「踰輝」と「超光」、雲に乗って走る「謄霧」、翼のある「挟翼」の8頭である。穆王はこの馬を駆って犬戎ら異民族を討った。
また、司寇(司法官の長)である呂侯に命じて『呂刑』と呼ばれる刑法を定めて社会の安定を図ろうとしたが、その3千といわれる罪数の多さに却って諸侯や民衆の反感を買った。
また彼は西の彼方にある、神々が住むとされた崑崙山にも立ち寄り西王母に会い、西王母が後に入朝したと言う。 このことは穆天子伝としてまとめられている。神話、伝説の要素を多く含む中国最古の旅行記である。