稲葉通重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
稲葉 通重(いなば みちしげ)は、安土桃山時代の武将。江戸時代前期の大名で、美濃清水藩主。
|
||||
時代 | 安土桃山時代から江戸時代前期 | |||
生誕 | 不明 | |||
死没 | 元和4年(1618年)6月 | |||
別名 | 新左衛門(通称) | |||
官位 | 甲斐守 | |||
藩 | 美濃清水藩主 | |||
氏族 | 稲葉氏 | |||
父母 | 父:稲葉重通、母:吉田浄忠の娘 | |||
兄弟 | 兄:牧村利貞、弟:稲葉道通 | |||
子 | 稲葉通勝 |
稲葉良通(一鉄)の庶長子である稲葉重通の子として生まれる。慶長3年(1598年)に父が死去したため、家督を継いだ。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、叔父の稲葉貞通と共にはじめ西軍に属し、後に東軍に寝返った。そのため、戦後に所領を安堵された。
ところが慶長12年(1607年)12月、天野雄光や津田信成ら数名と京都の祇園で遊んでいたとき、酒乱のために乱行を起こしたため、幕命により改易され、常陸国筑波に流罪とされた。ここに清水藩は廃藩となった。元和4年(1618年)6月、配所である常陸筑波にて死去した。