稲嶺一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
稲嶺一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1989年6月19日)は、日本の政治家・実業家・軍人。沖縄県本部村出身。沖縄県知事稲嶺惠一の父である。
1929年早稲田大学を卒業。南満州鉄道に入社する。第二次世界大戦中、海軍武官府に出向しインドネシアに赴任。敗戦後、インドネシア独立闘争を支援し投獄された。
復員後、琉球石油(現在のりゅうせき)を起業し、沖縄県随一の企業へと育て上げた。
のち1970年に参議院議員に当選。3期13年務め、沖縄の発展に尽力。
政界屈指のアセアン人脈の持ち主として知られた。独立闘争を支援したことから、インドネシアの建国記念式典に国賓待遇で迎えられたこともある。日本インドネシア友好団体協議会会長、日本カンボジア協会会長などの要職を歴任した。